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マスクの下では

今やマスク着用が必須の世の中となった。

「なった」と言い切っても良いのではないかと思っている。

諸説あれども結局は当分の間、もしかしたら遥か未来に向かって、この状況は続くのだろうと思っている。

科学的な根拠はないので、素人の予想に過ぎないけれど。


元来、マスクは好きだ。着用はやぶさかではない。

四十過ぎた頃からだったと思うけれど、花粉症(頑なに診断は受けないでいる)なので年に何度かはマスクなしではいられなくなる時期がある。

正直な話、自らが花粉症になるまでは花粉の季節になるとマスクを着けて街を歩く人々に、「大袈裟だなぁ」とか「やたら大儀そうにしているなぁ」などと、半ば批判的な視線を送ってしまっていた。

それが今では、当たり前のような顔をして立場を置き換えている。

勝手だ。ジコチューだ。

ただ、それとは別に、同じく四十過ぎた頃からだったと思うけれど、冬場はインフル予防のためにバス電車内を中心にマスクを常用している。

そう言えば、いったい何年インフルに罹っていないのだろう。どうやらマスク効果のおかげと言っても良さそうだ。

ワクチン接種は一度も受けたことないし。

そして、マスクというものは、着けなければ着けないままで済ませてしまえるけれど、着け始めると着けていることで妙に落ち着きを感じ、それ無しでは何だか心もとなくなってしまうものだ。

守られてる感に満たされるのだ。たった一枚の布や不織布で顔の一部を覆っているだけなのに。

サングラスでもプラスすれば防御感に満たされ、安心感は更に高まる。

同時に不審者感も高まってしまうけれど。

加えて、実効性と言うところでは、寒い時期には顔が暖かいし、バス電車内の匂いというか人いきれが気になりにくくなるというのもある。

ただ、その一方で世間では、マスク着用のデメリットや弊害といったものも声高に叫ばれている。

蒸れて肌が荒れてしまうとか、夏ともなれば汗でぐっしょり濡れてしまってかえって不潔とか。

皆が皆マスクをするようになったので、相手の表情、特に口元が判らないという問題も出て来た。

聴覚に障がいのある人の日常生活に支障を生じさせたり、幼児教育の場では子どもたちが大人の表情を見ることが出来ずに怯えてしまったりといった影響があるという。

口元が見えるよう透明のシールドを装着してマスクの代わりにしたかと思えば、それでは脇から息が漏れてしまうからと言ってマスクの一部を透明にしたりと、対応・工夫は様々だ。

この生活がもっと長くなると、今は表面化していない他の問題が生じることもあるのだろうか。

きっとあるだろう。思いもしなかった何かが。


さて、そろそろ本題に入らねば。

表題の意図するものは「髭」なのだ。それも、繋がらない髭。

マスクで常に隠れているから口元を他人に見られることが少なくなり、最近はあまり髭を剃らなくなった。

もっとも、元々髭が濃い方ではない。薄いのだ。

なので、そもそも毎日髭を剃る必要はない。

そして、三枚刃も四枚刃も必要ない。安価な電動シェーバーで何ひとつ問題ない。

ちょっと剃るだけでツルッツルになるのだ。

薄い上に猫っ毛だから、蒸らしたりする手間も不要。二日に一回の髭剃りで十分なのである。

だからと言う訳ではないけれど、若い頃から髭に憧れがあった。

所謂、ないものねだりというやつだ。

ただし、具体的に誰の髭が好みだとか言うことではなく、昔からどちらかと言うと歳より若く見えるようで、若い頃は逆に若く見られたくなくて、せめて髭のひとつも生やしたかっただけなのだ。

髭のひとつも生やせば箔が付くとでも思っていたという、絵に描いたような若気の至りだ。

生やしたかった。生やしてみたかった。

でも、薄すぎた。

口髭にしても顎髭にしても繋がらない。どうにも格好がつかないのだ。

個人的に、薄いのに生やしている髭は単なる無精髭に過ぎず、カッコイイとか見栄えがするどころか、カッコ悪く情けないものと思っている。

ないものねだりの裏返しと言うか、薄くても気に入って生やしてる人々には失礼極まりない。

けれども、そう思っているのだから仕方ない。

そんな訳で、我が人生において、今の今まで髭を生やしたことはなかったのだ。

ところがそんな自分にとっての転機が降って湧いた。

マスク必須の世の中である。

この深刻な事態に甚だ不謹慎かも知れないけれど、マスクの着用によって口元が常時隠れていることで、人知れず髭を生やせるという自分にとっての好機が訪れたのである。

とりあえずは、モミアゲとか顎の下の方とかマスクからはみ出る部分だけを剃るようにしてみた。

いくら薄いと言っても、3日もすればそこそこ生えて来るのだ。

勿論、繋がりはしない。薄いのだから。

しかも白髪混じりだ。尚更に目立たない。存在感に欠ける。

頭髪にも言えることだけれど、ひとりの人間の顔面という狭いエリアなのに、場所場所で白髪度は異なる。

自分の場合、顎はほぼ白髪で、その他はゴマ塩状態に生えるようだ。

そして、顎の部分の伸びが早い。

だから、放っておくと顎髭ばかりが元気に成長する。

口元と言うか鼻下との相違が尚更カッコ悪く思えて来る。

鼻下は、やっぱり繋がらないから伸ばすのは諦めよう。

養毛剤でも使ってみようかとも思ったけれど、いくら何でもそれは気が進まない。

ここは男らしく諦めよう。

あ、「男らしく」は今や禁句か。

もとい。ここは潔く諦めよう。

モミアゲも同様。潔く諦めよう。

という訳で顎のみ伸ばすことにしてみた。

ところがと言うかやっぱりと言うか、結局伸ばしてみても満足は出来なかった。

伸びるには伸びるのだけれど、生える範囲が狭いのだ。

ヤギさんだ。ヤギ髭だ。メェメェ言う山羊さんだ。

元々のヤギ髭は、顎のところに長く伸びている髭の形状のことだから若干意味がズレるかも知れないけれど、イメージは山羊さん以外の何ものでもない

けれども、折角伸びた貴重な我が髭。無暗に剃りたくはない。

なので、切り揃えてみたり周囲を剃ってみたり試行錯誤してみた。

無駄だった。

変わらない。変わり映えしない。映えない。

マスク生活が与えてくれた思いがけないプレゼントは、さして満足感を与えてくれることもなく、職場ではお茶を飲むにもマスクを外せず顎マスクにしてしまうというデメリットを産み出すものに過ぎなかった。

マスクを外したら中途半端に髭面だったなんてのは、職場の皆からいいようにいじられるだけだ。

今の職場を去る日までには、この世の中に決定的な変化、と言うか元通りの生活が戻って来るとは考え難い。

期待外れで映えないけれど、もう暫くは愛しい我が顎髭とお付き合いしてみるかな。