わたしがわたしであるために
わたしの好きなことは何なのか。
わたしに出来ることは何なのか。
好きなことで誰かに貢献できることって一体何だろう。
苦じゃないことで貢献できることって何だろう。
答えが出そうで出ない。そんなもどかしい日々を過ごしている。
わたしもわたしにしかできないことがしたい。それで楽しく生きていきたい。楽しいことをして人生を終えたい。夢中になりたい。夢中で生きたい。
『時間は限られているのだから、楽しくないことをやっている暇はない』という言葉を聞いて本当にそうだなと思った。
わたしの心は、あのときからずっと満たされていない
今年の6・7月に小規模の講座を挑戦させてもらえる機会があったのだけど、なんか違う・心が満たされないという感じだった。それを言語化してみる。
チラシを作ったり、構成を考えたり、スライドを作ったり、その時間は楽しかった。アイデアや引っかかりを出してもらえると進められた。
でも、自分のやりたい感覚だけで作ろうとすると、求められているものとは違うんだと思った。集客が苦しかった。今のわたしの感覚では、必要な人に必要なものを届けられないんだと感じた。わたしじゃダメだなという感覚。
作業は大変さもあったけど、充実感があった。何かを作り出して、自分の頭の中を整理してアウトプットすることは好きなんだと思う。
講師として人前で話すこと
講座が終わったあとの感想としては、自分自身の満足感は得られなかった。
やり方や自分のまとめを話すこと自体は嫌いじゃなかったけど、相手の反応や満足度が気になってしまった。一人ひとりと話すわけじゃないから、相手がどこまで理解しているかが分からなくて、それが怖かった。
わたしは『ちゃんと伝えなきゃ』が強い。
誤解されることや理解されないことが嫌いだし、すごく怖い。これ伝わってるかなとか、必要なこと届けられているのかなとか、そもそも必要かなとか、間違っていないかなとか。
目の前の人にジャッジされることが怖かった。
間違っているとかないし、相手は何かピンときて聞きに来てくれているのに。すごく大事なことを教えてもらったという感想も貰って、その人は本当にそう思って感想をくれているのも分かるのに、自分の満足感がない。
こういう視点からの話も聞けたらいいなという感想を貰って、わたしのじゃダメだったんだという思いもあった。ダメ出しじゃないのにね。今も良いけど、こうしたらもっといいよということも、否定が前提と思っているから、わたしが真っすぐ受け取れない。
飲食の仕事で人と話すこと
必要な場面やリラックスしているときに、自分の考えたこと・感じたことを話すのは好き。あとは、飲食の仕事で、対お客さんとやりとりすることも嫌いじゃない。必要な情報を説明してお客さんに注文してもらい(答えを出してもらい)、美味しく楽しい時間を過ごして帰ってもらう。
わたしもその空間を一緒に作ることが出来た、そんな感覚があると満足感で満たされる一日になる。
逆に忙しすぎて全部後手に回ってしまったときは、お客さんを満足させられなかったのではないか、と一人で勝手に残念な気持ちになる。わたしは把握したがる傾向があるので、把握できていないときに不安を感じやすい。
振り返り
お客さんや相手にダメだと評価されることがわたしは怖い。必要以上に怖いから、ダメだしされないように完璧にしなきゃと思っている。でもこれって終わりがない。いつまで経っても怖いままで、満足なんてできない。
満足感を得られなかったことは、自分の自信のなさも大きかったと思った。結局自分自分で、自分のことしか考えてなかった。届いている人には届いているのに、わたしが自分を信頼していないから、人の言葉も信じられなかった。
それじゃ悲しいよね。
自分を信頼したいし、相手の言葉を心から受け取りれるようになりたい。
好きだからこれをやっているという気持ちより、相手に何かしなければという気持ちが強く出てしまって、楽しめなかったんだと思う。
そしてそれは形を変えて、今でもそう思っている自分がいる。最近これが地味に苦しい。おそらく周りは苦しんでほしいなんて思ってなくて、わたしが勝手に何かしなきゃって苦しんでいるだけなんだけど。
自分が好きなことをやってるから楽しい。相手にも何かちょっとでもヒントになれば嬉しい。そんな前向きな気持ちだけで、いろんなことが出来たらいいな。