一生に、一度は映画館でジブリを。
風の谷のナウシカの公開は1984年。2020年の大きく綺麗な劇場でナウシカをゆったり集中して見られる幸せを噛み締めずにはいられない。
じつは20才をこえて、しっかり観たのはひさしぶりだった。そんな中で大人だったから気づいたことを書いていきたい。ネタバレがあるので、ネタバレNGだったらここから先は読まないで欲しい。
ナウシカの世界観で恐ろしい存在は、マスクなしでは1分も命がもたない腐海。腐海に巣食う巨大な生物である蟲。人間は、この二つに恐怖し、腐海と蟲に飲み込まれる不安を抱えながら、少なくなってしまった住める場所を巡って争いを続けている。
そんな世界の中でナウシカだけが、腐海も蟲も恐れない。恐れないどころか、敬意をしめし理解しようとしている。彼女だけが、共存の道を模索し続けている。彼女の行動は、多くの人間に驚異いに映る。理解できない彼女もまた、恐怖の対象へとなっていく。
しかし、視聴している自分は作品世界の人間の恐怖に反して、ナウシカへの共感と理解が染みこんでくる。腐海は汚れた土の浄化システムであり、蟲はシステムを守るための防衛機能であることをナウシカとともに知ることになる。それを知らない人間たちは、過去に文明ごと焼き滅した恐ろしい兵器である巨神兵まで起動して蟲や腐海に立ち向かおうとする。
36年も前の作品なのに、今の時代をとても反映していると感じた。ナウシカの行動は、未知の驚異に対して敬意と理解をもって共存を願う、強い意思と勇気は自分の心を強く強く響かせた。子供の頃、大きく凶暴な王蟲の姿は、雄々しく厳かに見えて、ナウシカの感じている気持ちを理解できるほど、少しは大人に慣れたのかもしれないと思った。