淫夢の真価は40年後に問われるという事について

タイトルの内容について簡潔に述べさせていただく。今回のテーマは淫夢の衰退・繁栄を考察する上で必要となってくる要素である為、是非ご一読いただきたい。

さて、ご存知の通り淫夢のブームは90年代後半(真夏の夜の淫夢リリース直後)の第一次淫夢ブームと2012~2020年(諸説あり)付近の第二次淫夢ブームの2つに大別される。
2024年現在の淫夢の盛り上がりは、それら淫夢ブームと呼ばれる時代と比較すると落ち着きを見せていると言えるだろう。(例えばニコニコ動画で「野獣先輩」の検索ヒット数が淫夢全盛期の2017年で約11万件であるのに対し、現時点のヒット数は200件あまりに留まる)

ここで一つの疑念を提示する。
“果たして淫夢はもう衰退したのか?”

結論を述べると、答えは「NO」である。

現在の淫夢が盛り上がりに欠けている、それは間違いないだろう。しかし肝心なのはその理由だ。
最も有力(というかそうであるとされている)な説は、第一次及び第二次淫夢ブーム世代の淫夢厨が社会人となり、淫夢に打ち込む時間が確保出来ないからであると推察されている。
いつの時代も淫夢を支えてきたのは10代〜20代の若者・学生であった。その若き淫夢厨達が、今や家庭を築き、労働に勤しんでいるという事である。とすれば確かに淫夢の灯火が小さくなるのも止むを得ない。
で、淫夢をおもちゃにする人間は徐々に数を減らして行く…………

訳無いよね(迫真)

想像してみて欲しい、彼ら淫夢全盛期世代は30~40年後には会社員なら定年退職、それ以外の職業でも殆どが現役引退を果たしているはずだ。
そうなった時、彼らの心に浮かび上がって来るものは何だろうか?無論、淫夢である。
老後、騒々しい社会から距離を置き、労働から解き放たれた事によって現れた心の隙を老淫夢厨達は何で置換するだろうか。
それは妻や子供、孫など家族と時間を共有する事かもしれないし、何かしらの趣味かもしれない。が、それだけでは埋まらない、老後の充実感。そんな中ふとネットの海で淫夢と再会した時、心の奥底から蘇るはずなのである、淫夢厨としての自我が―

こうして、学生時代に淫夢を生き甲斐とした淫夢厨は、社会の激流で一度は淫夢を離れつつも、老後また淫夢を生き甲斐として暮らして行くのである。
逆にこれを実現する為に、現役世代の我々は日々淫夢の輪を途切れさせぬよう努力する必要がある。
それはなにも、何かを生産するという事では無い。心の片隅に淫夢への忠誠心を置いておけば良いのである。(これについてはまた別の機会に解説する)

生まれた時からインターネットに触れていた、本当の意味での“インターネット老人”はこれから初めてやってくる。我々はその時に備えるべきなのだ。
町内会や婦人会のような共同体の役割を、淫夢が担う日が来る。

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