日本人女1人でVrindavanのHoliに参加した話(4/6)
迎えに来てくれたおじさんは、日本人を連れているせいか、随分な色粉の攻撃を受けながら、なんとか私を家に連れ帰ってくれた。
私はおじさんの綺麗な洋服がすっかり色粉塗れになったことをとても申し訳なく思っていた。
家に着くとおじさんは、「祭りが終わるまでここにいて良い」と言って、カメラを充電させてくれたりした。そして、奥さんは食事を御馳走してくれた。
私は「カメラの充電がたまったら、もう一度出かけるよ」と言っていたんだけど、おじさんは「またまた」という感じで本気にしなかった。
私自身、気持ちがすり減っていたので、しばらくおじさんの家の周りでうろうろしていた。
↑おじさんの家の裏で、休んでいた人たちと
おじさんの家からは街のメインの広場が見えて、沢山の人がそこを行き来しているのがわかった。少しずつ寺院に人が集まっていく様子も感じた。
一方で、確実にイカれた青年達も増えている様子だった。本当にドラッグをやっているのか、車の上から水鉄砲やら何やらぶちまけながら奇声を上げて走り去っていくような群れをいくつも見た。
ただ、やっぱり、いつまでもここにいるわけにはいかない、何のためにこんなところまで来たんだ。
おじさんの家から少し離れて街の写真を撮っていたら、またおじさんが探しに来て、しこたま怒られた。「せっかく迎えに行ったのに、どれだけ危険だと思っているんだ。今日は家にいろと言っただろ。言うことを聞け。」
正直、おじさんの言うことを聞く義理なんて無いと思っていた。でも有無を言わさない貫禄があった。昭和のお父さんみたいな、家長の貫禄というのはただならぬものがある。しかし、勝手に出てきてまた探しに来られても申し訳ない。
結局、「じゃあ息子に案内させるから、息子と一緒に行きなさい。」
ということになった。
正直、おじさんの息子は、外で暴れてるヤンチャ系の青年達とは明らかにタイプが違なり、どちらかと言うと勉強の方が得意そうだ。インドにもこういうタイプがいるのか、と思ったくらいだ。
今日みたいな場ではあまり頼りになさそうだし、ちょっと面倒くさいな、と思った。でも他の方法で外出許可は出ないみたいなので、息子ともう一度寺院を目指すことになった。
しばらくぶりに来た街は、さっき以上に、一層、色で染まっていた。当然、粉や水もかけられるし、日本人と見ればそれは現地人以上だ。
粉は痛いし、水は冷たい、大きな声を上げて飛び掛かられると子供でも怖い。写真どころじゃない。明らかに何かロクでもない言葉を叫んでるんだろうな、という青年達とも沢山すれ違った。
寺院に近づけば近づくほど、人でごった返してくる。
いよいよあと10mくらいで寺院、というところで、中から出てきた一際色の濃い集団に見つかった。ここまでの個人的な感覚だが、被ってる色粉の色の濃さと、その集団のイカれ具合は比例する。
あ、ヤバイ
と思ったときにはもう遅かった。
十数人の男達に取り囲まれ、もみくちゃにされて立っていられなくなった。
誰かが胸とか揉んでたけどそれどころじゃない。
あ、これはレイプされるやつかもしれん、と思ったときだった。
その混乱のど真ん中に、おじさんの息子が突っ込んできて、私を引っ張り出してくれたのだ。
辺りには人は沢山いたけど、彼がいなかったら本当にどうなっていたかわからない。色の濃い青年達はもちろん息子に突っ掛かったので、彼はメガネを落として顔も服もぐちゃぐちゃになった。
彼は全然カッコよくなかった。でも、ぐちゃぐちゃになりながら彼らに立ち向かい、ついには追い払った。本当に感動した。
なんの義理もない私に対して、なんという責任感だ。
本当に危なかったし。すごく怖かった。
寺院はもう目と鼻の先だったけれど、次に何かあったら、息子のメガネが今度こそ割れると思った。服もぐちゃぐちゃだし、申し訳なくて、「寺院に行くのは諦めるよ」と、言った。
正直、彼らが助けてくれなかったら、寺院に行ってただろうか?それはわからないし、考えてもどうしようもないことだ。
息子は、「写真を撮りたいなら、この近くで友人達がダンスをしている場所があるから、そこを案内するよ」と言ってくれた。
親戚の家、と言っていたような気がする。
その家の屋上からは街が一望できた。そして、確かにダンスしている一団を見下ろすことができた。
何それ、寺院以外でもそんなのがあるのか。
あそこに行っても良い?と聞くと、青年はかなり躊躇したけど、どうも、みんな友人らしい。これまでとは格段に柔和な様子で案内してくれた。
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