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日本人女1人でVrindavanのHoliに参加した話(6/6)

ここでは最後に振り返りになってしまいます。

今回の旅は、終わってみれば楽しかったのですが、かつて無い挫折感を味わったという意味では、ひとつ潮時かもしれないと思うほどの経験になりました。


一番考えたのはジェンダーの事で、
つまり、ホーリーが外国人の女が一人で参加すると余りにも危険な祭りであるという大前提です。


そもそもホーリーは何なのかという話に立ち戻ると、繰り返しになりますが、もともとはクリシュナという神様を祭るおまつりで、転じて、この日だけはカーストも関係なく無礼講で誰になにしても許されるとか


インドの北部では結構どこででも行われているお祭りですが、私が行ったマトゥーラの、特にナンドガオンとバルサナという街は、クリシュナの生誕地だったり、特に田舎で古い街だったりで、ホーリーが過激で有名な場所でした。
現地の女性達も参加してはいますが、目深にサリーを被っているし、基本的に旦那さんと一緒に行動してたり、大人数で行動しているので、集中攻撃を受ける事はあんまりない様です。

実際行ってみると、これは世界中どこの祭りも同じなのかもしれませんが、17〜19歳くらいの男の子達がトラクターとか乗り回して、通りかかる家とか人とかに、バケツで色水をぶっかけたりしている、そういうやんちゃな集団が町中に溢れまくるわけですね。
雑貨屋さんの前を買わずに通りすぎると顔に粉かけてくる(目を狙ってくる)
道の二階からバケツで色水が落ちてくる(寒い)
後ろから水鉄砲で1リットル分位の色水をかけられる(痛い)。
後ろから羽交い締めにされて顔中に水を塗られる(ついでに色々触られる)
転じてとにかく囲まれて触られる。


そんな感じで随分無法な状況になる訳です。
振り返ってみるとビビりすぎて全然写真撮れなかった。

結局のところ、
私のような外国人はそもそもガタイの大きさが全然違うので(インド人は小さい)、どんなに変装しても紛れられないし、
やっぱり若い女が一人で出歩く事は非常に危険なんですよね。
(言うほど若くないだろうという突っ込みは今回は許してほしい)

これは本当に難しいお話だけど。
やっぱりインドではまだ相当進んでいる都市の女の子でも旦那さん父親が決めてくるのが普通だったり、
なんていうか、空港で見かけた夫婦が、旦那さんが奥さんを物みたいに抱き寄せていちゃついたりしているのが普通だったりして、なんかそういうのは複雑な気持ちになりました。


結局のところ、(まあ男でも同じですけど)祭りに出てきている青年達は酒を飲んでたりドラッグをやってたりで目は座ってるし、ろれつも回ってなくて、
そういうのに囲まれてしまうとやはり戦ったら絶対勝てないなあと思う訳です。


そうやって考えると普段我々が夜中でも安心して歩ける治安というのはある程度の土台の上に成り立ってるもので、
【こうして危険がある以上、やはり女性は絶対に男性に守ってもらわないと生きていけないのです】(だって勝てないから)
男性は自分の所有物として女性を守るし、
女性は安全を確保してもらう為に男性の助けが必要で、それが無いと出歩く事も出来ない訳です。


それに対して、日本人はその感覚が分からないから、中東とかに対して【男性の政治家がそれを強制している。女性を軽視している】と決めつけがちだけど、
そもそも、
あの灼熱の砂漠と、全てを持っていってしまうスコールと、急に暴れだす大河を抱えて、
途上国というところは概して絶対的に【物が足りなくて】【安全】や【電気】【安心】が保証されてなくて、明日が、今日と同じようにくるとは限らない場所で、何かあった時には奪い合わないと、争いに敗れた時には自分が生きられないかもしれない、という前提がある場所では
男の人生には争いや奪い合いがつきものだし、奪い合うものには食べ物や権力、そして女性も入ってくる訳ですよねどうしたって。


それが結果として女性を【物みたいに扱う】ことに繋がってしまうのは、なんだか仕方が無い気がする(途上国にもそうじゃない男性は居るし、日本にもそういう男は居る)


そもそも最初は必要にかられてそういう状況になってしまう訳です。
女性が所有物だとか財産になってしまうと、その女性に教育を施すかどうかはどうしたって男性の気分次第になってしまうし、その中で女性が自らの権利に目覚めるというのはなかなか難しいだろうなと理解できる。
よく世界史で学ぶ女性の偉人の話では、
彼女らは結局、貴族のお嬢さんとかで、それが、暇つぶしにお兄ちゃんの家庭教師の話を聞いてたら、そしたらうっかりお兄ちゃんより賢かったりして、その才能に気づいて伸ばしてくれる環境にたまたま恵まれて
それでようやく、なんらかの分野で初めての軌跡を残したんです、なんて聞いたけど。
そんな風に偶然、すごく恵まれた環境にでも生まれなければ、そしてかつ偶然メチャクチャ頭よくなければ、
家庭に埋没して一生を終えるという、女性としてはそれが普通なんだろうと、つくづく考えました。


そして、女性が安心して夜道を歩ける、女性が安心して、全ての争いごとから解放されて人並みに社会で活躍できる時代を作るには、
【男が】「もう女性を奪い合ったりしてはいけない」と決めて、そういう安全な社会を構築しないと、【女は】出て行けないのだ、と、
そう思うと、なんだか随分、我々の権利は他人任せな上にでないと成り立たないし、
それこそインドの女性が今後自立していく為には、そういう過程が必要なんだと思うと、随分、それは無力な事だなあ。
と、ぐるぐる思ってしまった。
でも概して時代というのは
戦争の時代→ちょっと落ち着く→しばらく安全になると、商業が盛んになる→女の人が元気になる→文化が栄える→どっかから誰かが奪いにきて戦争になる
の繰り返しな気がするんです。

インドのホーリー祭りで、絶対的な弱者を体験した私が考えたことはこんなことでした。本当は、他にも、日頃の先進国の住民だと思っていた自分が、現地の人たちにどんな気持ちで見られていたかを感じた日でもありましたが、それはまた別のお話ということで。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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