大切な人が望むなら

今朝、祖母が亡くなったと連絡があった。
10年前くらいに認知症の診断があり、3年前に脳梗塞で入院、その後施設に入所していた。まだ80代だと思っていたけど、いつの間にか90歳だったらしい。

高速道路を使っても2時間くらいの距離に住んでたばあちゃん。
バンに乗って、80近くまで運転してた。小さい頃、母が忙しかったりした時期は遠くから運転して来てくれて、家事をやってくれた。運動会や成人式、節目には一緒にいてくれた。
ばあちゃんに頼んで一緒に寝てもらったのに、寝相悪くてベッドから落として風邪ひかせてごめんね。

大学に入ってから年1回くらいしか顔出せなくてごめんね。

入所してから1年くらい会わなくて(コロナの制限もあったけど)、去年久しぶりに面会した時は号泣しながら心の中で「婚活やマッチングアプリ、男にうつつ抜かして会いに来なくてごめん」なんて思ってたな。
大事にするべきはこっちだとなんとなく思って、そこから恋愛に対する比重が前より減って、面会できるようになって。

最後の面会、話はしなくて眺めてるだけだったな。
もっと自分が撮った写真とかアルバムにして見せたり、話しかけたりすれば良かったかな。
失語だから1人で話しかけるのも恥ずかしいのと、一緒にいるだけでもいいかなって思う部分もあったけど。
1人でも面会に行ってみれば良かった。
もう少し手を握れば良かった。

小さい頃、ばあちゃんと朝散歩するのが好きだったな。
畑に連れて行ってくれたり、割烹着姿でモール行ってマック食べたっけな。
中学で初めての友達が出来た時は帰ってすぐ電話したし、よく声が聞きたくて電話してた気がする。

全部は思い出せないけど、ばあちゃんのことが大好きな私なのだ。
大して何もできなかったから、旅立ちくらいしっかり見送ろう。

この間から見てる「今夜すきやきだよ」のセリフで、「大切な人が望むなら応援したいじゃない」「寂しい気持ちと応援したい気持ちはどちらも持っていられる」って言葉と出会って、じんわり来た。

私には何も無いと思うこともあれば、私には大切な人がいて、周りに素敵な人が沢山いると思う時もある。
そうやって自問自答を繰り返しての私なんだろう。

火葬前にばあちゃんに手紙を書こう。
さて、何を伝えようか。
おやすみなさい。

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