平安名すみれについて考えて語るだけのギャラクシー☆彡エントリ(後編)
この金髪の子かわいいですね。
お待たせいたしました。私の愛するスクールアイドル・平安名すみれについて考えて好きに語るだけのこの企画ですが、ついに最終回の後編をお届けいたします。今回はTVアニメ第9話~第12話をメインに書いていきます。前編と中編をまだお読みでない方は以下からどうぞ。
わずかに覗かせる心の陰、第9話
第8話でついに全員が揃い、この話ではグループのことがメインとなります。すみれについては引っかかる言動は少なかったですが、続いての第10話に繋がる部分もあるため少しばかり見ていきましょう。
作詞のために缶詰にまでしたかのんですが、嘘をついてまで帰ろうとしたことにすみれと同じだと言い放つ可可。グソクムシと言われるとすぐ言い返すすみれですが、一瞬「うっ…」と詰まっているあたりに「うそをついた」ことに関しては全く反論できないことが伺えます。次の第10話において、第4話の件を申し訳なく思っているだろうとかのんに言われていましたが、やはりこの辺りは相当気にしているようです。
この第9話ではもちろんのこと、続いての第10話の鍵ともなるこのシーン。特徴やつかみどころがないとグループについて言われますが、第10話をの内容からも分かる通りこれはすみれ自身のこととも重なります。このことについてすみれは「ショウビジネス的には致命的」とこぼしていますが、第4話でクラスメイトの誰からも選ばれず、第7話でも選ばれることがなく裏方に回るようになっていますから、自身のことも意識しながら言っているのではないかと思います。そんな中でかのんだけはこのことを前向きに捉えていますが、そこもまた第10話につながっていくこととなりますし、だからこそすみれの理解者であるのだなと感じます。
あと気になると言えば、グループ名を考えていた時に出かけていたアイデアでしょうか。可可によりキャンセルを喰らいましたがなんだったのでしょうか…まあギャラクシーなんとかみたいなところでしょうけれども。
ようやく気づいた本当の想い、第10話
いよいよ来てしまいました。スクールアイドル・平安名すみれの物語の最大のヤマ場にして伝説の第10話です。ここも主役の回ですから、第4話同様しっかりじっくりと進めていこうと思います。
仲間といるからこその劣等感
冒頭のラブライブ!に関する話をしているシーンでは、すみれだけはやや興味がなさそうな雰囲気を出しています。スクールアイドルとしての活動を始めたばかりの第5話だけでなく、第9話でもラブライブ!を素人の大会と呼ぶなど、ここまでずっと大会そのものにはあまり関心を示していないことが分かりますね。スクールアイドルとして活動していく以上ラブライブ!を目標とすることは自然ですし、大会で良い成績を残すことはすみれ自身の夢にもプラスになることは第4話でも分かっているはずですが、それでもなお人一倍競争心の強いすみれが大会にこだわる様子を見せないのは不思議にも感じられます。この点については以下の2つの可能性を検討してみます。
まず一点目、既にすみれがそれなりに満たされた状態であるということ。かのんとすみれが似ているという話はここまで何度かしてきましたが、それならば歌を取り戻したかのんが第12話で勝つことへのこだわりに迷いを見せたように、すみれ自身の中で満たされたものがあったということが考えられます。もちろんすみれの最終目標はスポットライト、そしてスターになることですから、それはまだ達成されたわけではありません。しかし第6話で書いた通り、初めてできた大切な仲間と共にスポットライトを浴びることになっていますから、すみれ一人だった頃からは考えられないほどの日々のはずです。事実スクールアイドルとして立っている時のすみれは笑顔にあふれていますから、この時点ですみれはそれなりに満たされた状態であったということが考えられます(そして後ほど触れますが、おそらくすみれはこのことに自覚的ではありません)。
続いて二点目、大会の結果についてあまり心配をしていないということ。第5話で書きましたが、すみれはバランス良く培われた実力を持っているだけあって人の力量を見る目に長けており、4人の仲間と共に過ごすうちにその力についても感じ取っているはずです。常に冷静な視点から物事を捉えるすみれも、第9話でLiella!がそれなりに結果を出せるのではという話になった際に否定していないことから、メンバー個人の強みや能力、そしてそれを結集させたグループとしての実力があることは認識しているのでしょう。だからこそ、あまり気を揉まずともそれなりに結果を出せるのではないかと考えているのかもしれません。
センターに憧れながらも、いざ実際にとなると弱気になるすみれ。これまでのことから自信を無くしているのではとかのんは話していましたが、前述したうちの二点目を考慮すれば単なる自信の問題だけでもないように思えます。すみれは4人の持っている能力をきちんと認識しているわけですから、後ほど4人の話題に挙がる「すみれは突出した能力を持ってはいない」ということも理解しているはずです。かのんの素晴らしい歌声や厚い人望も、千砂都の音楽科で選抜されるほどのダンスやみんなを前向きに引っ張る姿も、恋の優れた実力や誠実さから来る学校のみんなからの信頼も、そして可可の表情豊かな華やかさや仲間を突き動かす情熱も、すみれにとってはどれも及ばないもの。自分自身にはないもの持っている存在と常に一緒にいるわけですから、仲間に対する劣等感のようなものを抱いていてもおかしくありません。それでもなお、自分と違い大会に熱を注ぐ仲間からセンターを務めるよう言われるわけで、優れた仲間が務める方が良いのではという迷いは生じるはずです。
いつでも完璧なスターでありたいからこそ、その実態はただひたむきに努力する少女であることを決して人に見せないすみれ。幸か不幸か可可にはその姿を見られてしまい、図らずもメンバーの中では認められることになります。前述した事情もあってそれでもまだ自信はなさげですが、決定的に反応が曇るのは千砂都の「学校のみんなの意見」という部分。第4話そして第7話で見向きもされなかった学校のみんなに認めてもらえるのか…その不安は非常に大きいはずですし、だからこそ強い力を持っている4人に負けることのないよう尚更気負ってしまうわけです。
プロとして、契約を果たすために
ヘッドフォンをつけて楽曲を聴き込んでいる状態でもなお、話し込む2人に気が付き話に入ってくるあたり、すみれは本当によく周りを見ているなと思います。そして反応からおそらく予想していたであろうことでありながらも、突きつけられたのはまたしても同じ「選ばれない」という現実。
深い海の底からスクールアイドルという光を見つけ、表には出さずとも活動に熱を入れ、初めてできた仲間とスポットライトを浴び、学校の代表として想いを共に背負うことになり…変わり始めたすみれの日々だったはずが、本当は何も変わっておらず今も決して選ばれないという絶望。第4話と同じではありながらも、輝く日々を過ごしているすみれにとっては非情な現実です。その悲しみはあまりに深く、第1話では同じ階段で可可に引き止められたかのんに対し、ここではその言葉も届かず走り去ってしまいました。
第4話のようにメンバーが待つ屋上に現れるすみれですが、ここで着目したいのは練習着ではなく制服で現れたという点。大会が近づいて練習をしないわけにはいかず、しかし普通に練習することも困難であり、センターの問題について解決しなければ先に進めないことをすみれは理解しているはずです。おそらく大会に向けて波風がなるべく立たないよう、この場で話によって折り合いをつけるつもりでいるのでしょう。これだけ辛い現実に直面してもなお冷静な視点を持ち続けるのは、第4話でかのんと交わした「契約」があるからだと思います。
「私たちはスクールアイドルを続けるために、結果を出さなくてはいけません。ショウビジネスの世界での、あなたの知識と技術で協力してほしいんです。」
思えばわざわざ契約金という話を出したのも、単なる加入ではなく「契約」でなければ、すみれとして素直に受け入れられないということもあったのでしょう。すみれは一見我の強そうなキャラクターに見えつつも、Liella!において一歩引いた場所から冷静に助言やフォローを行う姿が非常に多く見受けられます。これには妹がいるといったもともとの環境や、第7話までの経験を生かして自身の裏方への適性を見つけたというのもあると思います。しかし最も大事な前提は、すみれはプロであるということ。プロである以上、Liella!を支えるという契約を守ることは絶対。だからこそ、ここで自分が身を引くことが最善の結果に繋がるのであれば、すみれはそれを選ばなければならないのです。たとえ仲間の強い反対を押し切ってでも、それが身勝手とすら思われてでも。
ここですみれの計算外だったことは、この状況を最も深刻に受け止めなければならないはずの可可が猛烈に反対してきたこと。そしてこの状況を打開するために切ったカードは「スクールアイドルやめる」というものでした。第4話ではセンター総選挙に負けた時点で口走っていましたが、今回はこれだけ辛い現実のなかでもスクールアイドルをやめるとは言っておらず、スクールアイドルに熱を入れるいま、これは本当に出したくないカードだったことがよく分かります。しかしながら一瞬考える間があったことからも、自身を犠牲にするような手を打たなければならないと判断して、あえてこの話を出しているはずです。つまりほぼ完全に追い詰められた状態。
しかしすみれの本当の姿を目にした可可は、それが本心でないことも見抜いていました。そうして向けられた言葉は完全に想定外であり、もう後がなくなったすみれは冷静さを失い、ついに感情を爆発させることとなりました。本当はプロとしてグループのために動くはずだったつもりが、追い詰められて出てきた言葉は仲間への大きな想い。これは想像に過ぎませんが、すみれ自身、仲間を大切だと想っていることをこれまで自覚してこなかったのだと思います。そしてその本心をぶちまけて気づいた時には、自身が大切な仲間から離れなければどうにもならない状態になっている。すみれが絶対に見せることのなかった涙は、このあまりにどうしようにもない状況を理解してしまったことによるものなのかもしれません。
そして可可の反応も注目したい点で、「待ってクダサイ!」ではなく「待って!」と敬語が抜けることは全編を通して無かったはずです。互いに予想していなかった言葉をぶつけられたことにより、どちらも感情がバグった状態になっているのです。
ついに届いた憧れの光
第1話のかのんのように、校舎の前まで追いかけてきた可可と話し始めるすみれ。可可は基本的に気持ちが表に出やすいタイプですが、すみれに対してだけはどうしても素直になれず、もう本心をぶちまけてしまった後だからか、あれだけ素直じゃないすみれが一足先に本題に入っています。どちらも自分の夢があるのに他者に気を使って一人で抱え込んで、肝心の部分を明かさずにいたことからも、冷静なすみれと情熱的な可可の2人は正反対のようでよく似ていることが分かります。コアの部分でなくとも同じような描かれ方が多かった(第5話のかのんのヨガへの反応や、第7話でのチビに対する反応)のも、2人が似ていることによるものなのかもしれません。情熱ばかりが先行して放っておけない、それでも自分と同じく夢見る仲間だからこそ、すみれの可可に対する想いは一層強いのだと思います。
そして同じような仲間だからこそ、決定的な差である情熱(=すみれの武器である「努力」でどうにもならないもの)の部分で可可に対しては強く引け目を感じていたはずです。そんな届かないと思っていた相手からはっきりセンターとして認められたことで、すみれの心はついに動きました。第1話でかのんが走り始めたときに吹き、第8話で恋の加入を後押しした風にセンターの証を飛ばされようと、理想である完璧とは程遠い情けない姿になってでも自らの手で掴み取る。その姿を見た可可はようやくすみれを名前で呼びますが、いやこれどうでもよくないが?
TVアニメ放送時の第10話の感想にも書きましたが、この話はこれまでの話の要素を盛り盛りにして組み立てられています。しかし、そうして放たれる第1話と同じ「誰だと思ってるの」の意味は大きく変わりました。理想にずっと届かず挫折していた状況から、プロとして、そして大切な仲間の前で必ずセンターを務め上げるという強い決意へ。ここで気が付きたいのは、歌えるようになったかのんや、情熱と努力で能力を伸ばしてきた可可と違い、すみれはすこぶる成長したわけではないという点。もちろん裏での努力は欠かしていないでしょうが、明確に何かができるようになったわけではないのです。ここまで来るのに足りなかったのは、パズルの1ピースのような本当に僅かなもの。これまで光の届かない深海にいたグソクムシは、仲間とともにあることでついに光の当たる場所へ出てきたのです。輝くスクールアイドル・平安名すみれの真の誕生の瞬間です。
憧れのセンターに立つスクールアイドルとして役割を果たし、ティアラを外すすみれは、プロとしてではなくひとりの少女・平安名すみれとして感謝を伝えました。仲間を大切にする自身の想いにようやく気がついたすみれにとって、こうして仲間と一緒にステージに立てることは何より幸せなことでしょう。第5話で爆睡する可可に見せたような心からの穏やかな笑顔を、やっと仲間の前で見せることができました。
すみれたる象徴としての「ギャラクシー」
ここでひとつ、残された疑問も解消しておきましょう。すみれが口癖あるいは決めゼリフのように多用する「ギャラクシー」って何なのでしょう?
何か特定の意味を持っているのかと考えたいところですが、ギャラクシーと口走っているシーンを確認すると、驚き(第3話など)・喜び(第4話など)・悲しみ(第5話など)・怒り(第9話など)と特定の方向はなく、さらにそれらとは異なった使われ方(単なるファンへの挨拶など)もされていて、どうやら決まった意味を持っているわけではないようです。言葉の意味から読み解こうかとも思い英単語から調べてみたところ、ちょっと興味深い物が出てきました。
Galaxyは一般的に銀河等の天体を表す英単語ですが、「華やかな集まり、きら星」という意味もあるそうです。スターが集まった様子をきら星と表現するそうですから(私は使ったことないんですけど)、生徒会長選挙の合言葉「結ヶ丘ギャラクシー」というのは割といい合言葉だったのかもしれません。やや回りくどいながらも、「ギャラクシー」とはすみれの憧れそのものを指しているのかもしれませんね。すみれの好きな言葉は「一念天に通ず」ですから、神社の娘らしく言霊というものを意識していると考えることができます。
しかし、これだけで結論づけるには使い方が自由過ぎますし、悲しみや怒りにも使う言葉としてはちょっと不向きな感がありますね。これは個人的な考えですが、「ギャラクシー」というのは直接的な感情表現を避けるための言葉でもあるのかもしれないと思っています。
TVアニメを見ていれば分かる通り、すみれはかなり感情が豊かなキャラクターで、笑顔・悲しみ・怒り・驚きのいずれも意外と表情に出るタイプです。しかし普段は澄ました顔でいることが多く、感情をあまり表に出さないようコントロールしているのでしょう。いわゆる「営業モード」である、第4話のセンター総選挙でアピールしていた姿や、第6話でSunny Passionに料理を振る舞う際の姿からも、すみれの理想である「完璧な姿」というのは、いつも落ち着いて余裕を持ち、笑顔を振りまいている姿なのだと思います。そしてそれはすみれの非常に豊かな感情とは相容れないものでもありますから、感情そのものを押し殺すまたは表に出ないようストッパーをかける必要があります。その無意識のストッパー的なものが「ギャラクシー」なのではないかと考えられるのです。賢いうえにショウビジネスで語彙力も磨かれているでしょうから、自身の感情を表現する手段そのものはあるのですが、余裕を崩すことのないようそれを避けているといった感じです。
こう言ってしまうと「ギャラクシー」という言葉がマイナスの意味を帯びてしまいかねませんが、これははまたすみれの感情の豊かさの象徴でもあります。そんな象徴を決めゼリフとして背負っているということは、すみれはその感情の豊かさまで含めてスターであるという証でもあるのです。
そしてこの第10話は、すみれの核心の部分が出る回でありながらも、「ギャラクシー」という言葉はステージ上での一度きりでした。「ギャラクシー」が出ている時でも感情が高揚しているのですが、最後に見せた本心からの穏やかな笑顔はきっとそれを超えるものだったのだと思います。豊かな感情表現のさらに内側があるの、すみれのズルいところなんですわ…。
仲間の隣で変わりゆく意識、第11話
この話はかのんメインのためすみれの出番は少なめですが、仲間との結束が深まったことで意識の変化も見られました。そのような場面を少しだけさらっていきましょう。
千砂都の心配に対し、非常に物分りの良いすみれがそれをきちんと言葉にしていく姿が印象的ですね。第5話でも見せた現実を見据えたバランス感覚を備えていることは、すみれがLiella!において貴重な存在であることを示しています。
その後の千砂都の提案に対してはさすがに曇った反応を見せますが、これをすみれらしいと捉えるか、らしくないと捉えるかは難しいところです。きちんと理想を見据え実現していこうという提案に曇る、といえばすみれらしくないという話になりますし、理想を高望みと見て地に足をつけた戦略が望ましいと考えているならばすみれらしい発言です。話題に出しておきながら自分の中でもあまり結論はないのですが、少し面白いのはひとつ前に取り上げたシーンとの対比。考え方としては対局にある可可とすみれが互いの考えを取り入れつつあって、仲間になったことでどちらにも良い影響があったようですね。
似たもの同士なだけあり、かのんが真に歌を取り戻す姿には熱いものを感じたことでしょう。最強のメンバーが揃った今だからこそ出てくる「勝つわよ!」には、すみれ本来の冷静な視点から見た勝機と、大切な仲間とともに勝つことに対する熱い想いを感じ取ることができます。
取り戻したものは誰よりも熱く、第12話
長々と書いてきましたが、ようやく1期ラストの第12話まで来ることができました。すみれの「私を叶える物語」の先にあったものとは―。
熱を取り戻した、というかちょっと熱すぎるかのんに対しての笑顔。仲間の成長をともに喜び、仲間にも素直にこの表情を見せられるようになったことにすみれの大きな変化を感じます。
すみれとかのんの関係性が好きだと第4話で書きましたが、その極みがこのシーン。すみれはかのんのことを歌の実力や人望の厚さから評価する一方、かのんはすみれにグループとしての決め事の面で頼っている事がわかります。かのんは可可にとっては憧れ、千砂都にとっては大切な幼なじみ、そして恋にとっては救ってくれた恩人という立場ですが、対等に契約を交わしたのはすみれだけ。かのんとこのやり取りをできるのはすみれだけなんですよね。互いを尊重する仲間として認めたうえでの対等な関係性が本当にたまりません。
自分を救ってくれた可可にはなんだかんだ頭が上がらない部分もあるのか、あのすみれも僅かに素直さを見せています。第4話で扱ったように、自身が積み上げてきたものの象徴であるお守りを可可に託すのは本当に特別なこと。可可の熱量の象徴である憧れを託されたのですから、これはプロとしての契約なのだろうなと思います。ただ、第4話と違い一方的なスカウトのようなものではなく、互いに大事なものを託すということですから、すみれの仲間に対する想いは大きく変わりました。自分だけじゃない、仲間を含めた全員がスターなのだと。
冷静さと熱意、すみれのすべてが詰まったとも言えるラブライブ!の結果発表のシーン。第10話の回想にあったように、選ばれないことが当たり前となっていたすみれは、そのことに対する感情を徐々に失っていました。しかし、幼い頃に選ばれなかった時はきっとそうではなかったと思います。涙した日もあったでしょう。そしてここで、決勝への進出校に選ばれなかったことに真っ先に悔しさを吐き出したのはすみれ。その表情は誰にも見せていませんが、しばらくは顔向けできていないほどですから、この場にいる誰よりも悔しいと感じていたことでしょう。かのんが幼い日の歌への熱意を取り戻したように、仲間とともにスクールアイドルとして駆け出したすみれは、高みへの熱い想いを取り戻したのです。
最後に
というわけで、平安名すみれについてひたすら考え書き散らすこの企画もようやく終了です。2nd LoveLive!はほぼ確実にソロ曲が来るため、そこに向けてすみれに対する考えを詰めたかったのですが、すみれは素直じゃないだけに表に出ない部分が多く、考え甲斐のあるキャラクターでした。その一方で正直かなり反動が大きく疲れる企画でもありましたね。特に第10話について考えるのは大変なんですよ本当に…ダメージの大きな話なので…まあそういう話が個人的な好みなんですけど…。
文章としてもややまとまりのないものにはなってしまいましたが、ある程度面白い考え方は提供できたと思っているので、楽しく読んでいただけたならば幸いです。しかしながら誌面まではじっくり目を通せていないので、見落としていることも多々あるかと思います。最初にも書きましたが、この企画は正解を提供するものではないです。ただ、もしこの企画を通して、すみれをちょっとでも好きになってもらえたら何より嬉しいです。ここまでぶっ刺さるとは思っていなかった、本当に魅力的なキャラクターなので。
最後に歌詞を引用しておきましょう。2nd LoveLive!で見せつけてくれるであろう最高のステージと、これからのすみれの物語に期待を寄せて。それでは、横浜公演Day2でお会いしましょう。