僕の夏休み 4/4
僕の夏休み 1/4
僕の夏休み 2/4
僕の夏休み 3/4
昨日よりもほんの少しだけ、ひんやりとした空気の中で目が覚めた。
いつもより早く庭に出てきた僕を見て、ちょうど畑に向かおうとしていた祖母は少し驚いた顔をした。
「ばあちゃん、今日は僕も行くよ」
そう言うと、
「じゃあ、気をつけてついといで」
背中はちょっと曲がっているけれど、祖母の足取りは早くしっかりしている。
人が歩くだけの幅を残して草が生い茂っている下りの道は、とても歩きにくい。
僕は必死で祖母の背中を追う。
途中、小石に足を滑らせて転び、膝と肘をすりむいた。
先を歩いている祖母は、気づかないでそのまま歩いてゆく。
僕は見失わないように、あちこちについた砂利だけを慌てて払い、また後を追いかける。
祖母の家から畑まで、実際のところは10分も歩かないほどの距離のはずなのに、何だかずいぶん遠く感じた。
ようやく追いつき、すっかり息が上がっている僕を見て祖母は、
「まだまだやの」
と笑った。それから僕の肘のけがに気づき、
「泣かんかったんか。えらいなあ」
と、まるで子供扱いするように僕の頭をなでた。
何だか恥ずかしくて俯いてしまいそうになったけれど、でも顔はあげたままでいた。
悪い気はしなかった。むしろ、ほんの少しだけれど、誇らしかった。
畑に下りると、僕は隅に咲いている花を摘んでまわった。
盛りを超えてしおれかけたひまわりの隣りで、気の早いコスモスが寄り集まって咲いている。
夏から秋へ。
昨夜僕たちがはしゃいでいた間にも、花火が咲いて散っていった間にも、そしてここでも、また一歩夏が遠ざかっていったことを知る。
その一歩はほんのわずかだけれど、でも確実に。
僕らがこうして過ごせる時間がもう残り少ないのだということにも、気づかされる。
この花たちを使って、僕はあることをしようと考えていた。
頭の中にあるのは、昨夜見た花火の鮮やかさと、口をあけて見とれていたアカリの横顔。
時々目を閉じて記憶を確認しながら、僕は縁側に座り、黒い画用紙に一枚一枚、
ちぎった花びらを貼り付けてゆく。
赤い花びら。ピンクの花びら。オレンジ。白。うすい紫。黄色。
一枚一枚、丁寧に貼り付けてゆく。
画用紙の上に、本物の花でできた花火を描いてゆく。
多分明日になれば、それとももっと短い時間で、この花びらは色を失ってしまうだろう。
それでも別に構わないと思った。
いきなり僕の絵日記をのぞき込んで、
「絵、うまいんやねえ」
と言ったアカリ。
すいかにかぶりついて、口の周りを赤く染めて笑っているアカリ。
笑ってばかりいるのかと思えば、枝豆をむしる手を止めていきなり黙り込むアカリ。
それから、金魚柄の浴衣と、金魚のしっぽみたいなひらひらの帯。
昨夜のあの花火を、ほかの誰でもない、アカリと一緒に見たことさえ覚えていれば、それでいいと思った。
その夜、僕は出来上がった絵を丸めて輪ゴムでとめ、何も言わずにアカリの前に突き出した。
「何?」
そう言いながらアカリは絵を広げる。隅が丸まってしまっているので、僕が上側の両端を持った。
僕とアカリの間に、昨夜の花火がまた咲いた。
アカリは黙っている。僕も黙っている。
ただ庭のどこかから、り、り、と鳴く虫の声が聞こえていた。
もう秋は、すぐそこまで来ている。
アカリが帰ってから一週間ほどして、僕も家に帰ることになった。
「あら!リュウキ、しばらく見ない間にオトコマエになったわね!」
ほぼひと月ぶりに僕の顔を見た母の第一声はこうだった。
「オトコマエって何?」
僕の問いに、祖母は笑い、母は呆れたように首を振る。
「本ばっかり読んでいるくせにそんなことも知らないの?お父さんみたいな人のことよ」
余計に意味が分からない。でもきっと、あんまりいい意味ではないことは確からしい。
荷物をまとめている僕を見て、祖母が寂しそうな顔をする。
「また来年の夏、来るよ!」
僕はそう言って、夏の間にすっかり薄汚れてしまったタイガースの野球帽をかぶりなおす。
何だか腕がむずむずとかゆくて、無意識に肘の辺りを引っかくと、この間転んでけがをしたところのかさぶたがはがれていた。
日焼けした腕に、一箇所だけうすいピンク色の皮膚。
何だかかっこ悪いけれど、でもそんなに悪くない気もする。
母と一緒に山道を下りながら、僕は何度かこっそりと、祖母の家の方角を振り返った。
見るたびに小さくなってゆくその風景。
遠ざかってゆく今年の夏。
アカリの部屋には、僕の絵はまだ飾られているのかな。
花はもう色あせてしまったのかな。
2学期になったら、写真を送るって言っていたけれど、そんな約束はもう忘れちゃったかな。
来年の夏まで、アカリは僕のことを覚えていてくれるのかな。
・・・来年の夏が、早くこないかな。
「リュウキ、どうしたの?忘れ物?」
前を歩いていた母が立ち止まって不思議そうな顔をしている。
「何でもない!」
僕は大きな声でそう答え、小走りで母を追いかけた。