祈って祈って祈り続けて
親友が 私のことを忘れた
受験期で学校の授業がなくても、2人で勉強していた。
受験も家のことも本当に辛い時に2人で生きていた。
友達以上恋人以上、一心同体、悪く言えば依存関係だった。
彼女は進学で遠くに行き、長期休みには私の家に帰ってきたり、
私が彼女の家に遊びに行ったりしていた。
通話をつなげて1000円握り締めてスーパーに行って、
オンラインお菓子パーティーをした。
大学1年生の夏休み、なけなしのお金でホールケーキを2つ買ってひとり1個ずつ2人でたべた。
大学1年生の秋、彼女は全部忘れた。
私に敬語で話しかけた。
遠くまで飛行機に乗って迎えに行った。
浅草寺の前で、セブンで買ったコンビニ弁当を食べながら
心地よい風に吹かれながら3時間話した。
家族のことも、私のことも、彼氏のことも、覚えていなかった。
ドキドキしながら手をつないでデートしたり
「彼女、、?」と言ってギリギリのところを楽しんだり
寂しさの埋め合わせをしたり
全部なかったことになったようで、
彼女はここにいるのに私たちの過去だけすっぽりなくなってしまって、
彼女の思想と語彙だけがそこにあった。
顔つきも変わって、なんだか違う人みたいで、
待ち合わせたら遠くからでも見つけられるはずなのに
近くに行っても気付けなかった。
原因は心身的なもので、様子がおかしいことは気づいていたが、
どうにもできなかった。
新しい関係性を築いたけど、どこまで思い出していて
どこからが引き金となっているのか分からないから
どうにも上手く言葉が出ないことがある。
記憶の中に、私だけが置き去りにされているようで、
彼女は今ここに生きているのに、私は孤独を感じていた。
2人の物語は続いているのに、私だけが長い歴史を知っていて、
彼女は知らない。
生きているのに、死んだも同然だと思った。
私の中で生きる彼女は、どこに行ってしまったのか分からない。
好きって言えばよかった。
この手の中にまるっと居心地良くさせればよかったと、
後悔しなくもないけど、依存関係から抜け出せてよかったとも思う。
でもやっぱり「気持ち」は伝えてもよかったかもな。
今さら伝えても、なんで?ってなってしまうし。
失えないものを失って、失うことへの恐怖が芽生えた。
(多くの場合と失い方は異なると思うけど)
中学生の時に初恋の子が亡くなった。
この間、私の恋愛対象で対象でいじめられていたときに
味方になってくれていた先輩が亡くなった。
生きるものはみんな、終わりゆくけど
今日生きている人が明日死んでしまうかもしれない。
どうしよう、まだ、まだ、伝えきれていないことがたくさんある。
失えない人がたくさんいる。
私が明日死んでしまうかもしれない、
どうか、どうか、明日からの人生もずっと幸せでありますように と
祈って祈って祈り続けて、失えない人に届くだろうか?
彼女といつかまた、対等に交わって話せるだろうか?
私の失えない人たちよ、どうか幸せで、ぽかぽかに、
明日もご飯を食べてゆっくり眠って生きていけますように。
大切なひとを大切に想って愛情を伝えられますように。
自分に素直に正直に、後悔が少なく毎日を過ごせますように。