1年間のオーストラリア生活で自身に起きたターニングポイントを振り返ってみた。
2023年の2月からオーストラリアに在在していて、まもなく2年になります。
私がオーストラリアに来た理由は当時付き合っていた彼女がブリスベンに留学することが決まったので遠距離恋愛期間3ヶ月を経て、わたしもオーストラリアにやってきました。
人生はじめての同棲と破綻。
日本に住んでいる時は東京の企業に勤めていましたが実家が埼玉にあり、通勤時間が30分かつ乗り換えなしで一本で通勤できたので一人暮らしをする必要がなく、お恥ずかしながら28歳まで実家に住んでいました。
そんなわたしが初めての同棲と家計のやりくりを海外で経験したので、同棲生活は楽しいものではなく1ヶ月で破綻しました。
(もう芸能人のスピード離婚に文句が言えません。)
彼女は同棲していた家に引き続き住むことになったので、家探しを開始したものの、当時のブリスベンは人が飽和状態で空き部屋がなく出ていこうにも住む家がない!!別れているのに元彼女とは同じ部屋で暮らしている地獄のような状態でした。。
タワマン族になる。
そんななかやっと見つけたのがブリスベン中心地にある月家賃16万のタワマンの55階。家賃は高かったのですが、精神状況的にも早くこの環境から抜け出したい気持ちが強かったので住むことに決め、人生初の同棲生活は幕を閉じました。
そこからはタワマンで韓国人美女スジンとイタリア人美女マルティナに囲まれてのハーレム生活が始まり、わたしの料理スキルの無さに驚愕した韓国人のスジンがよく韓国料理を作ってくれました。(カムサハムニダ)
言語学校へ通いながら、学校で出会った日本人の友達が紹介してくれたレストランの面接をクリアして働き始めることになりますが、このレストランでも同僚がほぼ女性の環境でここでもハーレムワークが始まるのであります。
言語学校は3ヶ月だけ通いましたが、渡豪してきた時は全くできなかった英語がクラス分けテストでUpper Intermediate(中の上)まで上がった時点で卒業を迎えました。とりあえずの日常会話では困ることがないレベルまで上達。
ある日、インド人の友人がUber eatsはめっちゃ稼げる!と自慢してきたので私もレストランで稼いだお金と貯金はたいて車を購入してUber eatsのデリバリーも始めました。(対抗心の塊のような人間)
レストランでの仕事終わりに配達しながら家に帰るという狂った作戦を開始します。そこからは猛烈に働く日々でした。
車の買い方についてはこちらの記事をご参考ください。
目標を失う。そして再起。
学校もなくなり、レストランで働いてUberして寝るだけの生活が3ヶ月を過ぎた頃。私は「あれ、なんでオーストラリアにいるんだっけ?」と急に我に返ります。彼女を追いかけてオーストラリアに来たので、彼女と破局したことによって明確な滞在理由を失っていたのです。
それからオーストラリアでやりたいことリストを作成し、自分の今後の目標などを列挙していった結果バリスタになりたいと思うようになりました。
(オーストラリアはコーヒー文化がとても有名だし、私自身コーヒーが大好き)
しかし、オーストラリアでは仕事の経験がとても重視されるので未経験者のわたしでは雇ってもらうのが厳しいことが判明。友人のオージーに相談したところ「未経験でもカフェのレジやウエイターで働くことはできるよ。空いた時間でコーヒーの作り方を教えて貰えばいいんよ。」と。。
しかし、わたしの残りのビザの期限は6ヶ月を切ろうとしていたので修行期間を終えてバリスタになったとしてもすぐ帰国のタイムリミットっじゃん!ってことでビザの延長を決意。
大陸間縦断を決意
言語学校時代の日本人の友人がブリスベンのあるQLD州から遠く離れたVIC州のミートファクトリーでビザの延長のために働いていることが判明。
仕事も紹介してくれるとのことで大陸間縦断を決断。
早速、車を整備工場へ持ち込み、職場への退職報告、引越しの準備、友人たちへ別れを告げて1800kmのドライブへ突っ走っていくことになりました。
(日本で考えると鹿児島県から秋田県までの距離と同じくらい)
ど田舎ミートファクトリーでの勤務
無事にミートファクトリーのある街へ到着し面接をクリア。
HR(人事部)からの説明ではこの会社には大きく分けて2つの部署があり、一つは羊を屠殺するキルフロア。もう一つは肉を切り分けてパッキングするラムルームの二つがあると説明を受けました。
動物が好きな私からするととてもじゃないけど、屠殺は無理!とゴリ押しした結果無事にラムルームへの配属が決定。肉を切り分けるナイフ2本と体を守る鉄のエプロンを受け取り、友達の家に居候しながら自分の住む家も見つけ、ここからミートファクトリーで働く日々が始まります。
ビザの延長には88日間の労働が必要なので約3ヶ月。3ヶ月耐えればこの田舎ともオサラバだ!!と精神と時の部屋に入ります。
しかし結果として私は更にビザの延長のために追加で6ヶ月の労働を決意するので、このミートファクトリーで1年以上働くことになります。しかしこの事は当時の私はまだ知りません。。。
生活サイクルとしては朝5時から昼の13時まで働き、シャワーを浴びて昼食を済ませると疲れもあって眠くなり、睡魔と闘いながら英語の勉強をするか、昼寝をするともう夜なので明日に備えてまた寝る。そして起きる繰り返し。。
田舎なので特にお金を使うと所もなく自然と貯金がたまっていきました。
めっちゃ稼げるのでミートファクトリーはかなりおすすめです。
ビザを延長したい方は是非の下記2つの記事を参考にしてください。
今後の目標
これからの目標は来月2月中にメルボルンへの引っ越しをすること。
そのためには家と仕事を探さないといけません。
最初の仕事はなんでも良いのですが、生活が安定したら念願のバリスタになるためにカフェに応募していきたいと思います。
家探しと仕事探しも成功したら記事にしてシェアしていけたらと思います。
それと1年間お世話になった私が住んでいる街の美味しいご飯や、周辺の観光スポットもしっかり楽しんでいきたいです。
この街に来た当時は、都会ど真ん中から来たのもあってカルチャーショックを受けっぱなしで雄大な自然や、田舎ならではのゆっくりした生活を楽しむ余裕がありませんでした。離れるとなると少し寂しいものです。住めば都ですね。。。
ここまで私のオーストラリアでの生活を振り返ってみました。他にもたくさんの濃い思い出がありますが、全てを書き出すととんでもない長さになるので生活が大きく変わった出来事を抜粋しています。笑
この記事が少しでも何かの役に立てば嬉しいです。