[再投稿]何故、僕は教育大生になったのか。何故、起業をしたのか。
2020年〜2021年の時期に書いたnoteをいくつか再投稿しました。(当時、22歳)
ようやく、ようやく再投稿することができました。
僕のかけがいのないおもいでたちの、ほんの僅かな軌跡になります。
良ければ、ご覧ください。
以下、教育大学に入った理由をちょっぴり昔の僕が書いてました笑笑
こんにちは!
今回は僕が教育系の大学生になった理由を紹介したいと思います!
一応、noteを書く時には軽く下書きをしてから書いているのですが、
今回の『何故、僕は教育大生になったのか』は
多くの下書きが必要でした。
つまり、内容がめっちゃ濃くなっているという事です。(自らハードルを上げていくスタイル)
頑張って書いたので、是非最後まで読んでください!!!
というわけで、スタート!!!
全てのはじまり
僕は、大阪産まれ大阪育ちの男(22歳)です。
両親どちらも小学校教師の家庭に長男として生まれました。
この情報だけだと、教育大生にありがちな『両親が教師だったから教師を目指して教育大生になった』パターンだと思われてしまいますね(汗)
家から空港が近かったこともあり、飛行機のパイロットになるのが夢でした✈️
ですが、小学校高学年の頃、僕は自分がADHDである事を親から知らされ、家に置いてあったADHDを取り扱った本を何冊か読むうちに、教育に興味を持つようになりました。
中学生になると、両親を超えたいという単純な動機から、教師よりも上の立場の仕事に就きたいと思い、文部科学省で働きたいと思い始めました。
けれども、何故か建築士にもなりたいとも思っていました。(いわゆる迷走期ですね)
高校生の頃、文部科学省で働く事が如何に大変な事かを知り、現実的に将来を考え始めました。
教育委員会に入れば立場的には両親よりも上に立てると思い(浅はかですね😂)、教育委員会について色々と調べるうちに、教育行政学など教育を研究する学問に興味を持ち、教育学の研究者を志すことに。
そこで、進路希望を広島大学教育学部第五類教育学コースか愛知教育大学 教員支援専門職養成課程ガバナンスコースにしました。
ですが、浪人しました。
浪人している間に、そもそも自分の将来に対して疑問を持ち始め、一旦、自分の将来を白紙にして自由気ままに生きたいと思うようになりました。
でも、大学に入らないことで大きなリスクを背負うのは嫌だったので、元々教育関係を志望していたこともあり、教員免許資格を取って人生の保険にしようと思い、地元の教育大学に進学する事にしました。
というわけで、僕は教育大生になりました。
以下、もっと下書きがあったはずですが消えてました…
残念…
というのは嘘で、これだけです。
こんな薄っぺらい動機だった19歳のあの頃から、今の自分に繋げることができたこと。