岸田総理よりも🇺🇦戦争の前線近くに行った話[東欧旅ウクライナ編②]
あらすじ
今夜、ロシアの大規模ミサイル&ドローン攻撃があるとも知らず、ウクライナの港町オデーサのビーチでカフェ活をしたり、世界遺産の町並みを巡ったりなど観光を満喫していた。
けれども、次の日からの予定が未定である。キーフかリヴィウに行こうと思っているが、オンラインだと売り切れている。
だが、オンラインで夜行列車のチケットが無くても駅の窓口に行けば買えるのではないかと思い、私はオデーサ駅に向かうことにした。
本編
駅に着き、
窓口でオデーサ発の夜行列車の有無を尋ねてみた。英語が話せる方が1人しかいないようで、少しの間待たされたが丁寧に対応してくれた。
リヴィウに向かう夜行列車についてはチケットが無かったものの、首都のキーフに向かう夜行列車なら今夜発の分で空きがあると言う。
本命のリヴィウでは無いものの、キーフに行けば確実にリヴィウに向かう方法があるし、観光もできるし、今晩キーフに向かうことにした。
幸運なことにも、間一髪、ロシアの大規模攻撃から逃れることができた。
ちなみに、「キーフに行くということは、岸田総理と同じくらい前線に近い場所に行けるな〜」と呑気に考えていた。
あくる日の早朝、自分の目を疑うような光景を目にするとは、このときはつゆ知らず…
というわけで、キーフ行きのチケットを買えたので、ホステルに荷物をピックアップしに戻った。
道中たまたま見つけた日本食レストランで、OSAKAという名前がついたロール寿司を食したりするなどしてゆっくり駅に向かい、ウクライナ国鉄の二等車に乗り込んだ。
17:10発のオデーサ→キーフの夜行列車である。
発車してから暫く経つまで空調が全く効かなく、そのくせ窓はほとんど開かないので車内は蒸し風呂状態だった。
同じコンパートメントに乗り合わせた東欧美人の女の子の額に汗を滲ませた気だるげな姿を見れたこと以外は過酷な環境だった。
乗られる際には、飲料水は必ず持ち込むべきである。
私が思う夜行列車の魅力的なところは、同じ車内の人との一期一会の出会いを楽しめることである。
今回の二等車コンパートメント(4人一部屋)のメンバーは、場違いな日本人と退役軍人のウクライナ人おじいちゃん、あとはオデーサでサマーバケーションを過ごしていた23歳同士のカップルである。
昨年、オーストリアのウィーンからポーランドのクラクフに向かう夜行列車の中でロシア人とウクライナ人のご夫婦と相部屋になり、その時にウクライナ語で数字の数え方を教えてもらっていたので、それを活用しながら会話を楽しむことができた。
だが、同部屋のカップル。実は男性がウクライナ軍の現役兵士だったのである。
そのことを知らされてからは、胸中とても複雑な感情を抱き、人生や生き方について思い悩むこととなった。
どういう感情を抱いたかとか悩んだかとかについては、また別の機会に書くことにするが、
とにかく、「今を生きたい」と強く思ったとだけここでは書き留めておく。
URL追加予定
さて、列車にずっと揺られていると一定的な振動のためゆりかごのように眠ってしまう。
もれなく、夜の21時くらいには眠ってしまった…
目覚めた。朝の5:00だ。
とりあえず、車窓から外を眺めてみる。
ぼんやりとした視界に見えるのは、1面の水である。
あれ?こんなに大きい水辺の近くを通ったっけ?
と疑問を抱きつつメガネをかける。
すると、水には流れがあり、大きな川であること。そして、川を渡っていることがわかる。
オデーサからキーフの間に大きな川なんてあったっけ?
と少し考えていたが、ここで驚愕の仮定を思いついてしまう。
もしかして、ドニプロ川を渡河してる???
と。
すぐにGoogle mapを開く。電波は入らないが、あらかじめウクライナのマップはダウンロードしてあったので、すぐに位置がわかるはずだ。
え、ドニプロ川を渡ってるやん笑笑
キーフよりもさらに東の東ウクライナに入っちゃった笑笑
という笑いしかその時はでなかった。
キッシーよりも前線に近い場所にいるのである笑笑
普通に、日常的に空襲アラートの対象になる〇〇州に入ってしまった…
まあ、入ってしまったものは仕方がない。
ドニプロ川をわたり終え、周囲は相変わらず見渡す限りの小麦畑かひまわり畑なので、攻撃対象は見当たらない。
路線爆発以外は安全だろう。(しらんけど)
というようなちょっとしたびっくり要素があったものの、10:00に無事首都のキーフに到着した。
そこで、昨晩オデーサやリヴィウで大規模攻撃があったことを知る。
これまでの自分の情報収集からして、大規模攻撃は全土で何日か続く可能性があることはわかっていた。リヴィウには行き辛くなり、キーフは首都なだけあって防衛能力は非常に高いものの、念には念をおいて今晩のうちにウクライナを発つことにした。
(元々、基本的には夜間は都市に泊まらずバスや鉄道で移動することにしていた)
前のnoteでも少し触れたが、あらかじめ設定していたリスクの許容範囲を超えてしまう事象が発生したため、もう少しウクライナに滞在したいという気持ちはあったものの、その原則に(しぶしぶ)従った。
無茶をする旅行はハラハラドキドキするので大好きだが、やはり線引はしっかりとしておくべきだ。
というわけで、キーフ滞在時間がおよそ8時間とわかり、弾丸で観光することにした。
とりあえず、メトロの1dayカードを購入しに窓口に向かった。
キーフのメトロはロンドンのオイスターカードと同じシステムが採用されていたので、とても買いやすかった。(そして、安かった)
オデーサのホステルで出会ったウクライナに頻繁に出入りしているスウェーデン人に、オススメの観光場所やレストランをあらかじめ教えてもらっていたので、そこを巡ることにした。
まずは、最も有名な独立広場に向かう。
開戦後から度々ニュースの映像で流れていたシンボルの塔を目の前にして、ウクライナにいるという実感を得て満足した後、地元の人にオススメされた独立広場近くにあるレストランでローカルの食べ物を食べた。
その後は、大聖堂の前に展示されていた実際の戦闘でスクラップになった戦車などの軍用車両を眺めたり、祖国の母という巨大な像を観に行ったりした。
途中、横須賀にいたことがある元アメリカ軍で現在はウクライナでボランティアをしていると言う人(おそらく、ボランティアは嘘だろう…)に会い、お互い変わってるなぁ〜笑笑といった会話を楽しんだあと、キシナウ行きのバスに乗るためにバスターミナルへ向かった。
バスターミナルに着くと、すでにキシナウ行きのバスが停まっていた。
バスの周りには別れを惜しむ見送りの人たちでいっぱいだ。
あるあるの光景だが、少し違和感を感じるのは、バスに乗り込む人たちはほとんど女性で、見送る人が男性が多いという点だ。
これは、男性には出国制限があるためである。
ちょっと見慣れない光景であったが、今のウクライナが戦争禍であることを如実に示す光景だと思って眺めていた。
さて、バスはキシナウに向けて走り始めた。
モルドバには、ロシア軍が駐在している非承認独立国家の在ドニエストル共和国がある。
モルドバの話はまた次回に書くことにする。
モルドバ編URL挿入予定
まとめ
正直、観光目的でのウクライナへの入国は歓迎されない。何で日本人がここにいるんだ?というクエスチョンは場所を問わず頻繁に尋ねられる。
入国の際、私には幸い理由があったので入国することができたが、日本人にビザは必要ないものの、インビテーション(一例) とかを提示しろなどと言われるので、入国できない可能性も大いにありうる。
(私のようなモルドバからの入国より、ポーランドからの入国のほうが緩いらしい…)
だが、戦争中の国の姿を実際に見て体感することの価値は、私にとっては非常に高かった。
絶えず、人為的に死ぬかもしれないという恐怖も感じることができ、良い経験になった。
しかし、やはり自分は馬鹿なことをしている。という感情は渡航中にかなり強くなった。
まだ逢いたい人がたくさんいるのに、過剰なリスクを背負いに行くのは愚かだとも感じた。
(今回の場合は、何かが起こった際に国際問題に発展するので、親近者に迷惑がかかるのは間違いなかった)
ちなみに、私の友人の中には、戦時中に2度目のウクライナ渡航をする人もいるが、私はしない。
逢いたい人に会うために、自分の命を大切にすることにする。
けれども、何年かしたら世界一周をして、各大陸の最高峰にすべて登るとかいう一般的な意味不明な目標もあるので、なんというか命を軽視している救いようのない御愁傷様な人間なのかもしれない。
(指笛先輩と比べたら普通な人間だが)
しらんけど
最後に、有料部分に今回の旅で撮影した写真(20枚くらい) をまとめておくので、良ければご覧ください。もちろん、このnoteへの♥とTwitter(X)でRTして頂ければ無料で読めるようにしておきます!
ここまで読んで頂きありがとうございました!
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