今でもあの日を覚えてる
12月2日に書き始めて、記事を書き終わるまで大分時間が掛かってしまった。
先週、何気なく仰天ニュースを見ていたら松来未祐さんの名前が出てきてドキリとした。
子どもの頃から蚊に刺された際に出る原因不明の症状に悩んでいた女性が松来さんの病気について扱った仰天ニュースを見て、同じ病気だと分かったと言うものだった。
もうあれから5年も経つのかと思った。
亡くなったと知った時のことは今でもはっきりと覚えている。
仕事中。得意先のマイページにアクセスしようと開いたYahoo!のトップページにそのニュースは載っていた。
一瞬、頭がまっ白になった。
見出しをクリックしようとして止めた。
ああ、これを見たら、仕事が出来なくなる。
頭の片隅で社会人の自分がそう思っていた。
結局、仕事が終わってから帰り道にもう一度Yahoo!を開いた。
どこかで嘘であってくれ、見間違いであってくれと思っていた。
でも、しっかりとその記事はそこにあった。
大学生の時、鈴村さんを好きになったことをきっかけに(有)チェリーベルのラジオを聴き始めた。
櫻井さんと鈴村さんと松来さん。
聴くうちにいつの間にか3人のことが大好きになっていた。
病気療養のため休業すると聞いたものの、そんなにも深刻な状態だとは知らなかった。
お休み中、鈴村さんと櫻井さんだけでラジオは続いた。
その中で松来さんからメッセージが来たこともあり、相変わらず食べることが大好きないつもの様子で、きっと帰ってきてくれると信じていた。
松来さんが亡くなったことでチェリーベルは最終回を迎えた。
3人でなければチェリーベルではない。
その思いから2人が決断したことだった。
涙をこらえたような声で櫻井さんと鈴村さんは松来さんのことを伝えてくれた。
2人でラジオを続けると決めた経緯や闘病中の松来さんのこと。
自分が大変な時にも周囲を思いやることが出来る強くて優しい彼女の姿がそこにあった。
最後の挨拶、「企画部員、松来未祐でした」は櫻井さんと鈴村さんが声を合わせて言っていたのを覚えている。
悲しくて、悲しくて、悲しかった。
自分と同じ病気に苦しむ人のために病気が治ったら手記を書きたいと松来さんは言っていたそうだ。
亡くなった後、その思いはご両親やご友人によって受け継がれた。
慢性活動性EBウイルス感染症
それが松来さんの病気だった。
ほとんど知られていない病気で、様々な病院で検査を重ねていたにも関わらず、発見が遅れたのはその知名度の低さに原因があった。
早期発見につながって欲しいと言う想いから病名が公表され、仰天ニュースやニュース番組で症例が紹介されていた。
今回の仰天ニュースの方のように多くの人に知られることで繋がれた命のバトンがあることは素晴らしいことだと思う。
時が経った今も不意に思い出して、松来さんのブログを見に行くことがある。
最後の記事は誕生日を祝ってもらったことの喜びが書かれていた。
『私は、私に生まれて幸せです』と書かれたその記事を何度も何度も読み返してしまう。
私は今もあの日のことを覚えている。
きっとずっと覚えている。