見出し画像

ノンポリのリスク

「僕の感覚としては、社会現象みたいな感じ」。
 星野源がオールナイトニッポン(7日)で、うれしそうに報告するのを聞いたときは、まさかこんなことになるとは思わなかった。

 これまでもいろんな芸能人が「大切な人を守るために家にいましょう」「この機会に家族と団らんの時間を」「当たり前の日々に感謝し、この苦難を一丸となって乗り越えましょう」などと呼びかける動画を発表している。でも、あまりにも同じような動画が多くなった。家にいても大丈夫な高所得の人間にポジティブに一方的に言われても。家から出て仕事をしないと経済的に死んでしまう人は眼中にないのか。などと、少しいらいらした。いまの苦しみを乗り越えるために、ポジティブに捉えることは大事。でも、怒りがそぎ落とされれば、「みんな我慢しているから仕方ない」「文句を言う自分が悪い」と諦めるのが常になってしまう。

 そんなときにアップされたのが弾き語りの「うちで踊ろう」。
 
 誰でも許可なく引用可というのがミソで、使い方は自由。曲に合わせて音楽やダンスでコラボする。それができない人は、イラストを添えたり、あるいはあえて無表情で映り込んで何もしなかったり(バナナマンとかね)。パフォーマンスの場をなくした有名アーティストや俳優だけでなく、一般の人も次々にコラボ動画を上げて、拡散していった。

 この曲がうまいなと思うのは、いくらでも解釈しようがあるところだ。
 「うちで踊ろう」は必ずしも文字通り「家で踊ろう」と受け取らなくてもいい。むしろ精神的な意味合いが強い。家で休める人は外に出られない分、動画を撮って楽しんで。できない人は好きなアーティストとのコラボ動画を見て少しでも心躍るひとときを。星野源のインスタによると、そうした配慮もあり、「おうち」ではなく「うち」にしたそうだ。

 「生きてまた会おう 僕らそれぞれの場所で重なりあえそうだ」。
 押しつけがましく「外に出るな」とは言わず、ラストに一番伝えたいメッセージを盛り込んでいる。これも「批判せず連帯を」に通じてしまう部分はあるが、「コラボ動画を撮る(見る)のが楽しい」というブームを作った星野源はいちエンターテイナーとしてさすがだと思う。

 ここに雑に乗っかったのが安倍首相だった。星野源の歌に合わせて、自宅で犬と戯れたり、テレビを見てくつろいだりするコラボ動画がアップされた。誰かのコラージュかと思ったら、まさかの公式動画でぞっとした。

 外に出られない人、やむなく外で働く人のために作られた曲に、一番外に出て働かなきゃいけない人が無邪気に乗っかっている。
 別に安倍首相が実際にこういう過ごし方をしてようが問題ない。でも、市井の人々の目線に沿っていると考え、くつろぐ演技をわざわざ撮影したわけでしょう。音楽業界に自粛を強いる権力者側としての感覚がズレている。

 何より趣旨をはき違えている。基本のコラボ内容はクリエイティブな音楽やダンス。歌いも踊りもせず映り込んで、あんたはバナナマンじゃないんだから…と思ったが、正気でそう思っているのかもしれない。「有名人の楽しい啓発動画だよ〜」。広告代理店がらみだろうが、政治家とその取り巻きの世間とかけ離れた自己認識にあきれる。

 菅官房長官の「令和おじさん」みたいに、政治家をキャラ化して親しみ持たせようとする手法。こんなときも自分のイメージ戦略ばかり考えていて絶望する。今回の件も、同じような魂胆が見え見えで気持ち悪いのだ。失敗しているが。

 これが安倍首相だけの失敗ならまだいい。ただ、星野源がとばっちりをくらった。

 これまでのどんな素敵なコラボもぶっとぶようなインパクトがあり、聴くたびに「ああ、安倍さんの曲ね」となってしまう。この曲はいろんな解釈ができることでたくさんの人に受け入られてきたのに、自分のフィールドに取り込んでしまった。

 「誰でも自由に使って」という善意が裏目に出るとは。星野源は、紅白歌合戦にピンクのダウンで出場して多様性を呼び掛けるなど、ちょいちょい自分の姿勢を表現するものの、明確な政治的スタンスを表明せずに活動している。個人的な希望としてさ、はっきりNoと示してほしい。でも、本人が言いたくなければ、表明しないという自由がある。日本ではそもそも言いたくないというより、言えないのだと思うけど。

 そんな星野源がこの件で、どう反応するか。急に選択を迫られた。たぶん、どう反応しようが、あるいは反応しまいが、一定のライトファンが離れる影響がありそう。ここまであえて、生身の政治に言及せずに来ただろうに、とばっちりすぎる。私はどう転んでも彼の楽曲は好きだけど。ツイッターで「無味無臭のものは勝手に色を付けられる」というつぶやきを見かけたが、その通り。ノンポリのリスクを感じてしまった。

いいなと思ったら応援しよう!