我慢をさせる?
支援の方法として、「我慢をさせる」というのは私はあまり好きではありません。
ゆっくりさん凸凹さんには、特性として気持ちのコントロールが難しい人が多いです。
気持ちを切り替えたり我慢したり、気持ちを抑えることが難しいです。
なので、してはいけないことを「○○しない」で禁止して本人に我慢を強要するのはストレスになります。
社会的にしてはいけないことだったとしても、本人にはしたいことなのです。
私だって、したいことを止められたらイライラしてしまいます。
私は周りの状況や社会のルールなどをわかっているからやってはいけないとわかるけど、それが理解しにくいゆっくりさん凸凹さんにとっては、なぜしたいことを止められるのかわからないので、より混乱します。
特に気持ちがイライラしている時や不安を感じている時などはより止めることが難しくなります。
また、我慢をさせるために誰かが付きっきりになる必要があったりします。
しないように監視をしなければいけない状況や止めるのはお互いストレスです。
パニックになって危険になることもあります。
本当は、我慢ができるようになることが望ましいのかもしれませんが、その人の特性や状況などからは、見えなくしたり目の前からなくしたり変えたりすることがお互いに楽です。
目の前にあるのに「やってはだめ」と言われて我慢するのはかなり難しいです。
目の前になければやらなくて済むことも多いので、止められたり怒られたりもないです。
そして、してはいけないことの代わりにしていいことを伝えることが重要です。
「してはいけない」では、じゃあ何をしたらいいのかがわかりません。
それをしない代わりにこれをしたらいいよというものを教えないといけません。
してもいい行動を増やしていくのです。
もちろん、なんでも許容するのは違います。
どうしてもできないこと、我慢しないといけないことも世の中にはあります。
(本当に我慢しないといけないことかは価値観にもよりますが)
人によっては気持ちのコントロールを身につけていくために練習をすることも必要な人もいます。
「してはいけないよ」と言われたり示されたりして理解できる人なら、そう伝えて我慢の練習をしていきます。
ただ、そういう人でも我慢はストレスなので、我慢しなくていい環境にすることも必要です。
目の前になければ我慢するストレスが減ります。
その人がどこまで気持ちをコントロールできる段階や状況なのか見極めて対応する必要があります。
いろいろ理屈は書きましたが、無理に我慢をさせるというのが、私は嫌なんだと思います。
苦しい思いをさせたくない。
したいことができるようにしたい。
してはいけないなら、別のことでできるようにしたい。
「がんばる」「本人が努力する」という考え方が少しでも軽くなるといいなと思います。