ただ共に生きる
ドラマ『ライオンの隠れ家』を見てました。
このドラマには自閉スペクトラム症(ASD)の青年が出てくるのですが、私がこのドラマが素晴らしいと思うのは、ASDの青年が主役ではなく、家族の1人として自然に描かれていることです。
よくあるドラマは、ASDの人が主役だったり、ASDについて社会的に問題提起をしたり、ASDがドラマのストーリーの要だったり、ASDを全面に出していることが多いと思います。
でも、このドラマはASDに強く焦点を当てるわけではないけれど、ASDの特性を自然にドラマに活かしていると感じました。
ドラマでは、ASDの生きづらさや兄である主人公の悩みや葛藤などはありますが、主人公の葛藤を描くには、弟が必ずしもASDでなくてもいいような気もします。
だけど、彼がASDだからこそ生まれるおもしろさや素晴らしさがありました。
また、ドラマの中でASDの生きづらさや家族の悩みなどは物語の一種のスパイスであり、ただ生きて暮らしている中で誰でも起こりうる人生の悩みのように自然に描かれています。
ASDだからこそ大変なことはあるけれど、それを主張して大袈裟に問題提起するわけではありません。
人生は人それぞれです。
ASDさんが身近にいたら起こること。大変なこと。楽しいこと。
他の人にはまた別の大変なことや楽しいことがある。
ASDだからと言って何でも特別にする必要はないんだと感じました。
実際の生活でもそうだと思います。
ASDさんがいるから大変なこともあるし、おもしろくなることもある。
ただ自然に一緒に暮らしているから起こる日常。
ASDさんが登場人物の1人としている。
障害があっても、共に暮らしている1人として自然にそこにいる。ただ登場人物としている。
そんな世界でいいと思います。