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作中劇であることを自覚させつづける作中劇「言霊少女the Animation -Microphone soul spinners-」

 「言霊少女 the Animation -Microphone soul spinners-」というアニメを見ました。普段ならその程度で放送中のアニメの記事を書いたりなどしないのですが何と言っていいのか新しいものに触れた。そんなセンスオブワンダーともいえる感覚に襲われる作品だった。
 しかし感想を共有しようにもそれなりに層が厚いと思っているフォロワー諸氏ですらほとんど視聴していないこともあってこれを思いの丈を書きしたためたいと考え筆を執ってみよう。そんな気持ちにさせてくれた一作だ。

 ここで一つ断っておきたいのですがこの記事はアニメ「言霊少女 the Animation -Microphone soul spinners-」の感想であってそれ以外の言霊少女プロジェクトやSHOWROOM配信、アーティスト活動についてやそれらを相当量追った知見をもって書かれた記事ではないことをご了承ください。


あらすじ

 全校生徒がスター候補の聖ヒエラルキー学園。最高峰のエンタメ学園であると同時に強固なヒエラルキー社会が形成されている場所でもある。そんな場にあって落ちこぼれと称される4人の生徒たちが学園最下層からラップユニットとしてのし上がっていく物語である。


特異な視点

 15年ほど前、高橋良輔監督のFLAGというアニメがあった。この作品はカメラマンを主人公としており、作中のすべての映像がカメラを通して映されたもので必ず誰かの主観なのである。客観の存在しない一人称視点といってしまえばありきたりに聞こえるがFLAGが斬新だったのは映像そのものが主観であるということだった。カメラのディスプレイ上のステータス表示やアイコンなどあくまで切り取られた世界であるという事を視聴者に強く自覚させ続ける表現がボトムズやガサラキで名を馳せた高橋監督の描く一見リアルで猥雑な世界観をその一面に過ぎないことを強調していた。
 2012年のアニメ「THE IDOLM@STER」第1話でも同様の手法でアイドルに対し第三者の視点を意識させ最後にこのアニメの主人公でもある赤羽根Pが紹介されるという表現がなされていました。

 この「言霊少女 the Animation -Microphone soul spinners-」もそうだ。現実が御伽噺のようにうまくいかないことは理解しつつも本格的にそこに身を投じるまでにはまだ遠く、自信の肌でそれを感じたことのない多感な時期に感じたワクワクをあえて芝居として表現することで強調している一作だといえるのだ。
 まず、こちらに毎回のOPの最後に上田耀司さんのナレーションで語られる文言を引用する。 

”これは学園最下層からラップバトルでのし上がろうとする4人の少女たちMicrophone soul spinnersの証言をもとにそのまばゆい思い出を余すところなくドラマ化した魂のバイオグラフィーである。”

 ここで語られる通り、この作品はMicrophone soul spinners(以下、MSS)のメンバーの「証言」を基にした「劇中劇」である。これは設定としてそういう作品であると言葉で語られているだけではなく作品中の表現においても異常なまでに徹底されている。

 まず、わかりやすいポイントとしてはOPが終わってすぐ、本編の開始と同時にステージ上の幕が開く演出がなされる。

言霊少女001

 このシーンを見てもらうと幕だけではなくステージ上であることもわかる。ステージのつくりや雰囲気からいって学校の体育館にあるようなステージだろうか。いずれにしても本格的な劇場ではないように見える。

 

言霊少女005

 また、この大道具である。後ろの本棚は見てわかるとおりに背表紙には何も書かれていないという事が明確にわかるし本の大きさも不自然にほぼそろっている。厚みだけは多少バラけているのものの差をつけているのも作りやすいランダム性は自然に表現しようという意図の表れだろう。決して「低クオリティ=手抜き」ではないという表現に思える。
 そして、その左に見える書き割りだ。コルクボード、机、置物、そのほかすべての道具が平面の壁に描かれた書き割りとして表現されている。これもまた決して出来の悪い書き割りではない。とはいえ書き割りは書き割りであって現実にあるべきものではない。


言霊少女004

 これはこの作品中舞台奥からツラに向かって映すカットである。舞台であると考えれば当たり前のことではあるがこの作品世界には何も存在しない一方的にライトを向けてくるだけの真っ暗な虚無としか言えない空間が存在している。いや、虚無などではなく客席なのだろうが。そこに何が存在するのか明確に見えているわけではないが、一旦観客席があるものとして扱いたい。


 こうした意図はキャラクターの視線にも表れている。

言霊少女002

 これは第1話の閉幕後MSSのキャプテン、向田らいむが拙いラップながら自身の所信表明をするシーンだ。

 ”YO!YO!アイアムキャプテンらいむ。この名前は意外とナイス、だけど今のところ自信は無いっす。
 でも今しかない貴重なタイムやるっきゃないねやるっきゃやるっきゃ…アーイ!”

 閉幕後にキャラクターが外に出てきて語るという行為自体舞台であることを自覚させる行為であるといえなくはないがそうしたメタネタによるオチ(無地の画面に丸く穴が開いてそこから顔をのぞかせたキャラクターが「トホホ~もうこりごりだよ」と話すアイリスアウトによる締めなど)はそう珍しいものではない。それ以上にこの向田らいむがどこを見ているかに注目したい。カメラは彼女の正面やや上から撮っている。しかし、彼女はカメラ目線ではない。画面から見てやや下の方向を向いて語りかけている。彼女が語り掛けているのは「視聴者」ではなく「観客」なのだ。我々「視聴者」は本人たちの主観でもない観客でもない完全に俯瞰する位置から物語を見ていることになるのである。

 ただ単にこの作品が劇中劇であるというだけでここまで一貫した表現を用意するだろうか。たしかにアイドルや役者など芸能を取り扱う映像作品においてステージ奥から客席を映すカットになることは珍しくはない。しかしながらそれはあくまでそのシーンとしてのものである。ここまでに挙げた例以外にそうした意図を感じられる要素など枚挙にいとまがないほどで「言霊少女 the Animation -Microphone soul spinners-」は全編が劇中劇である意図に満ちているのである。

 無論、「低予算故のアイディア」「手の込んだ手抜き」といった類の解釈もできるしそう間違っているというわけではないだろう。それだけでここまで作品世界を徹底する必要があるだろうか。こうした表現によって視聴者を観客でも本人たちでもなく中途半端ともいえる視点に置くことで独特のアンバランスな、どこから見ているのかわからない未知の情緒を生み出しているといえるだろう。

音楽のような台詞回しと物語に寄り添ったラップ

 また、やはりアイドルアニメの華といえば楽曲である。このアニメはラップユニットを描いたアニメなのだからラップをする。
 しかしそれだけではない。ラップ以外のシーンでもキャラクターそれぞれに特色のある言葉遊びを盛り込んだ台詞が多数用意されている。


 向田らいむは名前の通りライムを刻むようなセリフ回しが多く、小気味の良いセリフ回しが楽しめる。個人的には最序盤の台詞ともラップともいえない拙いながら言葉を紡いだ独白が好きだ。
 与謝野詩歌は与謝野晶子の子孫という設定で俳句を嗜んでいる(大丈夫かその設定)ため折を見て俳句を詠むが、季語の入ってないものや感情的ではあるが情緒感もない間抜けな句が多く見た目や設定とは裏腹にコミカルな立ち回りが多くなっている。
 お笑い芸人志望で関西出身の川端ひまわりは時々関西弁が混じる。弱気なキャラクターながら常識人的なツッコミを行い、漫才のようなリズム感のセリフ回しが気持ちいい。
 ヴィルヌーヴ千愛梨は物語開始時点で唯一のラップ経験者でらいむとやや被る部分はあるが韻を踏んだ台詞やリズムのいい台詞回しを行う。また、MSSのほかのメンバーにラップの基礎を説明する存在でもある。

 こうしたそれぞれに特色のある言葉遊びとリズムを意識した台詞の特徴が用意されておりそれぞれに違った軸を持ちながら、時に互いの特徴を写し取りながら紡いでいく言葉とリズムは緩く結びついた音楽となっているともいえるのである。


 さらにこの作品に今のところ劇中歌はない、主題歌やEDとして用意された楽曲が流れることはあるがそれらが劇中で使用されることはない。
 一般的なアイドルアニメなどのステージシーンにあたるのがこのアニメのラップシーンである。バックに流れるトラックに対し即興ラップ(という設定の)を脚本単位で用意している。ちょうどようこそようこのようにその回の話にあう、物語をそのまま進展させるそれ専用のリリックが用意されているのだ。

 ともすれば音楽と呼びうる台詞回しと、物語の展開をそのまま取り込んだラップの二つが話が進んでいくにつれ徐々にしかし軽妙に重なりあうことで飲み込みやすさと爽快感を作り出している。彼女たちの抑圧された青春の鬱憤の発露と未来への希望が同一直線上に並ぶことでカウンターカルチャーとしてのラップの物語の部分により一層の力を与えているといえる。

 翻って芝居がかりすぎているという見方もできるがドラマは決してリアルではないしどうあがいてもアニメとはやはり劇でしかないのだ。劇は劇であるそれを誠実に、いや馬鹿正直にさらし続けるからこそリアルな生きざまとして昇華しうるのだといえるのかもしれない。



 この記事を書いている時点でまだ「言霊少女 the Animation -Microphone soul spinners-」は14話までが終わったところである。青春の物語といいながら12話のように唐突にUFOとラップバトルをするような話もあったし14話も大きく話が動き出したところだ。今後の本編の展開によってはここで書いたようなことはすべて覆されることもありうるかもしれない。だがだからこそ目が離せない展開になっているともいえる。
 劇中劇だからこそ生を感じられるのかもしれないしそれをぶち破ることで存在を証明する物語になるかもしれない。どちらに転がってもやはり生を感じられる物語になるだろう。無論気に入らない展開になることもまだまだありうる。しかしながら既に相当に充実した視聴体験を提供してもらった作品であることは間違いがない。その力に敬意を払い最後まで視聴を続けたいと思う。

 ライブ配信はSHOWROOMとYoutubeLiveとなっているがオンデマンド配信サービスでもかなりのサービスで配信しているほか1~3話はYoutubeの言霊少女プロジェクト公式チャンネルで無料配信している。放送中タイトルとしてははかなり見やすい部類だと思うので一度ご覧になられてみてはいかがでしょうか。

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