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Tokyo 7th シスターズ -僕らは青空になる-

 去る2021年3月16日、世間がシン・エヴァンゲリオン劇場版:||に湧く中そうじゃない一本の映画を見てまいりました。

 Tokyo 7th シスターズ -僕らは青空になる-

ナナシスについては5~6年くらい前に一瞬触っていた時期があるという程度で基礎設定に一部のキャラや楽曲は知っているけど正直777☆sisters全員のこともちゃんと把握はしていないというレベル。
 ちなみにゲームやってた頃は玉坂マコトちゃんが好きでした。

  まぁブランクもあることだしナナシスというコンテンツ自体にほぼ初見で触れる自分の為にも今回の映画に関わるナナシスの基礎設定を整理すると
・時代設定は近未来(2034年)である
・セブンスシスターズという過去に解散した伝説的アイドルグループがいた
・かつて全盛を誇ったアイドルだがこの時代には時代遅れの存在とされている。
・ハコスタと呼ばれる事務所、レッスン施設などを併設したホーム的なライブ会場がある。
・主人公たちはナナスタと呼ばれるハコスタをホームグラウンドに活動している。
 といったところか。

 特に今回の映画では斜陽のアイドルとハコスタという要素が重要に感じられたところである。

 話がとっ散らかってしまうがネタバレを含むストーリーの話をする前にアニメーションとしての画面の話をしよう。
 正直に言えばこの映画は潤沢な予算の中で作られた所謂「高品質」なアニメではない。劇場アニメで高品質なアニメといえば京アニやジブリといったものを思いうかべるだろうか。あるいはアイドルアニメで言えば終始ミュージカル調ともいえるほどに挿入歌を流しつつ日常シーンと併せたライブシーンで魅せ続けるラブライブ!なども非常にクオリティの高い映画だったといえるだろう。
 ではナナシスはというと、むしろその真逆である。ライブシーンもあるがガッツリとダンスやステージのフォーメーションを見せるというような作りではないし動画枚数も多くはない。無論日常シーンの芝居でも同様である。ただ、これは単純に「作画が悪い」などと言われるものではない。むしろ枚数が多いわけではないなりに効果的にデフォルメを効かせた描き方やメリハリのある動きは近年では珍しくなっているものでもあり、例えば「銀河旋風ブライガー」や「女王陛下のプティアンジェ」のOPを見ている時のような目が楽しいという体験を十分にさせてくれる映画であったと言える。

 さて、ストーリーの話に戻ろう。今回の映画の舞台となるのは八角スタジオという老舗のハコスタで、都市の再開発で無くなろうとしている八角スタジオを「月内にハコスタを満員にすれば取り潰しを回避できる。」という条件をクリアして救うため777☆sistersがライブをして再度盛り上げることで取り潰しを回避しようと奮闘する物語である。
 ここで重要なのがハコスタである。要するに”ハコ”ではあるがナナシスのハコスタという施設の特性上ただ劇場である以上にアイドルたちのホームであるという色合いが強い。つまり自分たちの家ではない八角スタジオという他人のホームの為に777☆sistersは戦うことになるのである。



ここからはネタバレを含みます

 結論から言うと八角スタジオは取り潰しされてしまった。「ハコスタを満員にすれば取り潰しを回避できる」という前提条件は結局一時しのぎの延命策でしかなく、最終的にラストでどれくらいの時間がたったかはわからないが八角スタジオのあった場所はサラ地になっていた。
 ここで描かれたのはアウェーでの公演で集客がうまくいかないなか777☆sisters達の奮闘する姿である。最終公演では様々な努力や応援やある種の奇跡が起きて多くの観客が集まった。しかし、この奇跡も「八角スタジオという場所が人々の心に残してきた想い」が起こした奇跡であってここで公演するのが777☆sistersでなければならないという要素はおそらくどこにもなかった。アイドルとして活動していて真摯に頑張れる子たちであればだれでも良かったのかもしれない。なんならアイドルでなくても良かったのだろう。さらには最終公演で八角スタジオが満員になったかどうかについては明言されてはいなかったと思う。
 重要なのは”変わらないものなどなにもない” ということだったのではないだろうか。
 この映画ではとにかく残酷なまでに不変のものなどないことを描いている。「かつてトップアイドルだった六咲コニー」「すでに時代遅れとなってしまったアイドル」「いなくなってしまった滑川のかつての推し」「在りし日の面影の残らない八角支配人」「若き日の八角支配人の推しで引退して就職し、八角スタジオのスタッフになり、妻となり、そして今はもういない女性」すべて変わってしまったものである。
 そういった要素を拾っていけばむしろ八角スタジオが消えてしまうことはある種の必然だったといってもいい。
 劇中に「アイドルはアイドルじゃなくてもいい」というセリフが出てくる。自分のやりたいことができるなら、輝けるなら、誰かの背中を押せるならそれが常にアイドルという形じゃなくてもいいんじゃないかということだと感じた。
 おそらく777☆sisters自体もいつか変わってしまうものなのだろう。
 それほどにこの映画は”あり方”ではなく”あり様”をコアとした物語だったのだと思う。

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