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差別を仕立て上げられた話

小学生の頃。

当時俺のクラスにはアメリカ人とのハーフ(以下、J君)がいた。

クソファッキンド田舎の小学校なのでハーフなんてのは学年に一人いるかいないかってレベル。

もはや遠い記憶なのでアメリカ人かどうかも怪しいが、とにかく父親が英語圏の人で黒人だった。

同じスイミングスクールに通っていたのとか共通の友達がいたのとかで、俺とJ君の仲はそこそこ。2人きりで遊ぶほどではなかったけど、まあ仲良し、そんな感じ。

「Jは違うじゃん!あっち行けよ!」

とか。

「やーい黒人」

みたいな差別は、俺は一回もしたことなかったし、他のやつらがやってんのも見たことはない。

あ~………。名前長いね、とはイジったことあるな……。

ミドルネームがねえ、やっぱ俺らにはないからねえ。
Jはどんな顔してたかな。泣かれたとか先生に叱られた記憶はない。

ともあれ俺(たち)はJの生まれたところや皮膚や目の色なんかどうでもよくて、ただの同級生、ただの友達として遊んでいた。

名前に関しても、変則的な読み方の名字の日本人同級生も”””平等に”””イジってたので今回はスルーする。

J君はアメリカと日本を行ったり来たりしていた。父親の仕事の都合かな、一年とか半年くらいとかでアメリカ行って日本帰って来て、みたいな感じ。

J君はALTのオーストラリア人と英語で話してたりもして日本語英語どっちも話せていた。
他のやつらが「エレファント!!!(ガキ特有の絶叫)」とかやってるのを差し置いて、突然長文の英語喋りはじめるもんだからJ君はそんときばかりはクラスの注目の的となった。


事件はとある日の国語の時間に起きた。

教科書の小説を一段落ずつ席の順番で音読していくというありきたりな授業風景。

ある段落をJ君が読むことになった。

喋りは片言じゃないけど、やっぱり漢字は苦手だったみたいで、J君は「茶の間」を。

「ちゃのあいだ」

と読んでしまった。

直後。
J君を中心として波のように広がる大爆笑。

確か「主人公がおばあちゃんを探して茶の間を開けた」みたいな場面だったので、あの時クラスのみんなの脳裏に描かれたのは。

綾鷹2本の間に正座するババア。

それでなくとも誰かがミスをしたらそれを徹底的にイジってつるし上げ笑いものにするのは人類普遍の娯楽。

J君のミスをネタにした笑いは数秒間続きました。

俺も笑いものにしてたよね。
楽しいんだもん止めるわけないじゃん。相手が嫌な思いするからって自分の楽しみを抑える力なんて義務教育満了しないと備わらないし、大学まで出ても出来てないジジイとババアなんてごまんといるし。

ですがその笑いの渦はピタッと止みます。

そうです。

J君が泣いてしまいました。

興ざめです。

これが休み時間なら興ざめで済んだものの、時は授業中。

先生のお叱りがはじまりました。

神妙な顔をして聞き流すゲームの始まりです。
ですが幼き頃の俺はそのお叱りに違和感を覚えました。

「J君が泣くまでイジったこと」に対してのお叱りではないのです。
では何なのか。先生はそれを明言することなく「Jは親の都合で外国に行くことが多い~」だのなんだか回りくどい言い回し。

どうやらこの説教のテーマは「日本語の苦手な黒人ハーフをイジメた」という差別問題のようです。

我が地域は人権教育に熱心なため、先生の目にそう映ったのも致し方ない話。

ですがこちらは納得いきません。

あの成績の悪いI君とか優等生気取りのHちゃんとかそして俺も、読み間違えたら笑われる。
そしたら適当に笑っとけばいいのに。

なのにJ君は泣いてしまった。

そして俺(たち)は先生に怒られてしまった。
しかもその説教によっていわれなきレッテルを貼られてしまう。

では先生に抗議だ。
否、小学校の教師なんて半キチのやべえやつしかいないんだから、事態が余計悪化する。

この瞬間、俺(たち)は理解した。

「Jをイジるとめんどくせえ」


以来、Jとは何となく距離が出来て、彼が何をやっていたかは記憶にない。

下手なこと言ってまたレイシスト扱いされたら面倒だし。

水泳に来てたような気もするし、俺が受講コースを一段上げたのでそれで疎遠になった気もするし。

JもJで「泣けば大人が味方になる」とつけあがって感じ悪くなった気もするし。

オーストラリア人ALTが大人の力で投げたドッジボールの直撃を食らって、また泣いてたような気もするし。


とにかくJはいつのまにか外国に転校していって、俺も中学受験して遠い中学に通ったので。

Jと会うことはもうなかった。


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