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コロナ禍を生き切る・・・

 ここ何週間も咳が止まらないでいる。止まらない、のではなくて、正確に言うと、止められない、のかもしれない。「自分で咳き込むことにより、咳き込んだ直後の肉体的な苦しさから、一瞬解放された楽な状態を心が覚えてしまったために、また咳き込む」、ということを体がリピートしてしまっているのかもしれない。

 実はこの症状、今はじめて経験しているものではない。十年ほど前、職場で強いストレスにさらされていた時も、数か月間咳に悩まされたことがあった。その時はいくつかの病院を回って検査をしても原因がわからず、結局「マイコプラズマ肺炎」ということにされて強い抗生物質を処方され、その薬の副作用で全身の色が変わるほどの発疹が出てしまい、為す術がなくなってしまった。そして最終的にどうなったかというと・・・。いつの間にか、気がついたら咳は止まっていたのである。

 今の症状もそれと同じかどうかは病院に行っていないのでわからない。ただ、好きなことをして気を紛らわしている間は不思議と咳は止まっている。そして、あることを考え始めると咳が止まらなくなることから、以前の体験と似ているなと感じてはいる。

 長引くコロナ禍で、いろいろなことを考えさせられた。何をもって自分の幸せとするのか、ここまで深く考えたのは東日本大震災以来かもしれない。
「これが人生で最大、これが人生で最後」と感じた苦しい体験の後に、素知らぬ顔をしてまた新たにやってくる困難の意味とはいったい何なのだろう。

 いや、意味なんて最初からないのかもしれない。そもそも私たち人間は、不条理で理不尽で不平等が当たり前の世界に生きているのだから・・・。それが当たり前の世界なら・・・受け入れた者勝ちなのかもしれない。

 お亡くなりになった漫画家の水木しげるさんは、戦争では激戦地ばかりに行かされたそうである。それでも、奇跡的に助かったのはジャングルに棲息するオウムの家族のおかげだったという話を聞いた。

 ある時、ジャングルで敵にぐるりと囲まれながら、水木さんは10人で前線にいらしたそうだ。そんな緊張の中、水木さんはふと目にしたオウムたちの姿に目を奪われ、彼らが美しくて、楽しそうで、ずぅっと眺めていたら、歩哨に戻る時間が過ぎてしまっていたという。

 激しい銃撃戦で味方は全滅したが、オウムの美しさに見とれたおかげで水木さんは助かった。頭にあったのはいつも「死にたくない」という思い。左腕をなくした時も、「命は助かったのだから、生きているのだから」と、絶望したりはしなかったという。

 コロナ禍で、経済か医療かという難しい選択が続いている。何をもって幸せな人生、幸せな生活といえるのか。この理不尽で不条理で不平等な世界では、豊かさの基準はもはやオカネではないことだけは、誰の目にも明らかである。

 人生を豊かに生きることができるかどうかは、結局、「負の感情とどこまで付き合いきれるか」にかかっているのかもしれない。ならばどこで、わたしたちはそれぞれの「オウムの家族」を見つけることができるのだろう。

 苦しい時ほど、イライラするような時ほど、周囲の世界を隈なく見渡してみたい。案外身近なところで、「オウムの家族」は楽しそうなおしゃべりをしているかもしれないのである。

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 話は変わるが数年前、私はある強い意志を持ち、淡路島をひとりで訪れた。神戸三宮の喧騒を離れ、真っすぐで真っ白な太陽の光を浴びながら、一面が鏡のように凪いだ紺碧の瀬戸内海を渡った。

 訪れたのは淡路島最高峰の諭鶴羽山。山頂近くには平安時代から修験道の霊場として栄えた諭鶴羽神社が鎮座し、行者の方々が今も修験道に励み、コロナ禍の終息と相次ぐ自然災害からのこの国の復興を祈念してくださっている。

 私も数多くの神社仏閣を訪れてきたけれど、諭鶴羽山は特別な場所だ。山頂の聖域には冷たく澄んだ結界の空気が満ち、山麓からは貴重な原生林の樹木や動物たちの豊かな生命の「気」が立ち込めている。足を踏み入れれば瞬く間に、誰もがその静けさに心から安堵するだろう。

 下界を眺める神々の気持ちとはこのようなものだろうか。天上の空気を胸いっぱいに吸い込むと、自分の心持しだいで天と地は分かれるものかもしれないという気にさせられる。

 神社に至る道はあまりにも険しく長く、なかなか気軽に足を運べる場所ではない。なぜそのような場所に、二千年もの昔から、今なお社は鎮座しているのか。神々が聞き入れてこられた人々の苦しみも悲しみも怒りも、二千年分である。ここは、二千年分の祈りの力が宿る聖なる山なのである。

 しかし今、その山の樹木が危機に瀕しているという。兵庫県の天然記念物であるアカガシの群落が、虫害の被害を受けているというのである。推定樹齢300年を超えるものも多数あるという。

 長引くコロナ禍で誰もが余裕をなくしている時代かもしれない。ただ、こうした時期だからこそ、誰かのために何かができる自分というものに気づけることは大事なことかもしれない。その「誰かのため」は、時には人でなくとも、危機に瀕したアカガシの群落のため、であってもいい・・・。

 自分一人の力は微々たるものかもしれない。それでも、その微々たる一善が、自分が前向きになれる大きな一歩になるということもありうるのかもしれない。「オウムの家族」になりうることもあるかもしれない。

 上に掲げた絵は、諭鶴羽山の神話に登場する二羽の鶴を描いた。その昔、日本列島を造られたとされるイザナギ・イザナミの夫婦神。ある日、鶴の羽に乗って高天原で遊ばれていたのを、それとは知らずに矢を放った狩人がいた。のちに狩人はその罪を悔いて神のお告げに従い、この地に社を建てて御神体を奉った。それが、今日の諭鶴羽神社だという。

 静かに降りしきる雪の中、暮れなずむ社の空に帰っていく二羽の鶴を思い描いて絵を描いた。その幻想的な光景はひと時、下界で起きている様々なことを忘れさせてくれた・・・。

諭鶴羽神社 「アカガシの森」寄付金のお願い 


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