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紀州街道その1 大阪天満宮、高麗橋~難波
大阪の中心部から和歌山へと向かう紀州街道を歩いたレポートの「その1」です。
大阪の市街地の真ん中に、川に挟まれた中之島があります。島の南向かいの北浜の近くに江戸期には紀州藩のお屋敷がありました。その藩邸から紀州公の地元の和歌山へと向かう街道を辿ります。この街道は20年以上前に一度歩いたことがあるのですが、改めてもう一度歩いてみました。
街道を南へと進む前に、中之島の北にある「天満の天神さん」こと大阪天満宮にご挨拶。
大阪天満宮の創始は、白雉元年(650)に孝徳天皇が難波長柄豊崎宮を造った際、都の北西の守護として大将軍社を祀ったのですが、菅原道真が大宰府に左遷される途中に参拝したということがあり、道真の死後50年ぐらい後の天暦3年(949)に一夜にして7本の松が生えて、夜ごとその梢が光ったんだとか。で、その噂を聞いた村上天皇の勅命によって天神を(道真を)祀ることになったのでした。って、道真カンケイなくね?って思わなくもないところですが、それほど当時は不思議事件を道真に結びつけたんでしょうね。それほど朝廷は罪のない道真を左遷させたことにウシロメタイ気持ちが残っていたんでしょうね。
ともあれ大阪人の崇敬を集めることになった大阪天満宮は、日本三大天神の1つに挙げられ、その祭礼「天神祭」も日本三大祭の1つに数えられています。ちなみに三大天神のラインナップは数パターンあります。三大稲荷ほどのバリエーションはありませんが。
天神祭といえば船渡御と花火大会が有名なのですが、船渡御だけではなく陸渡御もあります。他に例の無い三ツ屋根の地車など色んな山車が練り歩きます。夕方から繰り出して船渡御を見て花火を見るだけではなく、昼間っから楽しみたいお祭です。
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天神さんに参拝した後、日本一長いアーケード商店街の天神橋筋商店街をブラブラ。
中村屋のコロッケはダウンタウン浜ちゃんの好物としても有名です。行列が長くなる前に買い食い。揚げたてアツアツのコロッケもハムカツも100円玉で買えてしまうのって反則です。
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コロッケを頂いたところなのに早めのランチに洋食を。グリルらんぷ亭へ。この洋食屋さんには久しぶりに入りましたが、やっぱり安定して美味しい。カットステーキ、ハンバーグ、エビフライ、カニクリームコロッケの揃い踏み。間違いないっ!
私のすぐ後に2人組のおばちゃんが来店。メニューを見ながら、さして広くはない店内の全体に聞こえるボリュームでしゃべっています。少ししゃがれた声のおばちゃんが片方のおばちゃんに「あのな、別にわざわざ言うことやないんやけどな」わざわざ何を言うんやろ?「あんたちょっと出っ歯やなぁ」確かにわざわざ言うことではない。でも言われた方のおばちゃんも「そんなこと人前で言わんといて」とは返しません。「別にこれで困ったこと無いで」って。 同じ関西人でも芦屋マダムはランチに行ってこんな会話はしないでしょう。やっぱり大阪のオバチャンはオモロい。 私の隣りのサラリーマンも肩を震わせていました。
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中之島に戻ってきました。
天神橋を南へと渡ります。大川が分岐して、中之島の北を流れるのが堂島川に、南を流れるのが土佐堀川になります。この2本の川は中之島の西端で再び合流して安治川となって天保山で大阪湾に流れ込みます。
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天神橋を南に渡ってすぐ南東の角にある郵便局の場所に紀州藩邸がありました。その碑がありますが他に紀州藩に関する説明的なものはありません。
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郵便局の前には前島密の胸像があります。マエジマヒソカは有名な紀州人なのでここに立っているのではありません。この人は越後の豪農に生まれた人です。日本の近代郵便制度を作り上げたので郵便局の前に像があるという訳です。「郵便」や「切手」などの言葉も彼が選択した言葉なんだそうです。
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紀州藩邸跡の裏には、住吉大社とともに摂津国一之宮とされる坐摩神社の旧社地があります。音読みで「ざまさん」とも呼ばれるイカスリ神社は、今は1kmほど南西の久太郎町に鎮座していますが、元々はこの辺りにあって秀吉による大坂城築城の際に立ち退かされたのです。むかしむかし神功皇后が新羅からの帰路に立ち寄った際に腰掛けて休憩したとの伝承の「鎮座石」だけがポツンと残っています。柵の中にあって誰も触ったり座ったりできないと思うのですが、異常に頑丈な檻のような金属の柵の中にあります。ちなみにここの町名は石町といいます。
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紀州藩邸跡の郵便局を過ぎて直進すると、人形店や花火問屋が並ぶ松屋町(まっちゃまち)に向かいますが、直進はしないで西へと向かい、高麗橋を渡ります。
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堺筋にある高麗橋1丁目の交差点を南下して街道は進みます。交差点にはレトロなビルが建っています。高麗橋野村ビルディング。安井武雄の設計で昭和2年(1927)に竣工したビルです。
大阪の街中には大正や昭和初期に建てられたレトロビルがたくさん残っています。せっかくなので数軒のレトロビルを巡りました。
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綿業会館ビルは渡辺節の設計で昭和6年(1931)に竣工したもの。将来の冷暖房の普及を予想してダクトの径を太くして建物に内蔵させたり、井戸水による冷風送気を行ったり、窓に鋼鉄ワイヤー入り耐火ガラスを使ったりと、デザイン面の素晴らしさだけではなく、設備面でも様々な工夫が施されていて「戦前日本の近代美術建築の傑作」と言われています。開館早々にはリットン調査団(満州事変の調査のため国際連盟が派遣した人たち。吉本の芸人のことではありません)が来館するなど国際会議の場としても利用されました。国の重要文化財です。
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船場ビルディングは村上徹一の設計による大正15年(1925)の建築です。ビルの中央は吹き抜けになっていて、周囲に回廊が巡っている各階には事務所や店舗が多数入居しています。かつて馬車やトラックが入ったというエントランスはスロープになっています。
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生駒ビルヂングは宗兵蔵の設計で昭和5年(1930)に生駒時計店のビルとして竣工。スクラッチタイルと呼ばれる釉薬のかかったタイルが外壁に使われています。
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浪花教会も昭和5年の建物。こちらはヴォーリズ建築です。
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古い日本建築も残っています。愛珠幼稚園は、なんともシブい佇まい。国の重要文化財です。重文指定の幼稚園って凄いですよね。通園は江戸時代の寺子屋に通うみたいな感覚ではないでしょうか。
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シブい幼稚園の近くには緒方洪庵の適塾があります。ここは有名な名所です。江戸時代後期に開かれた蘭学の私塾兼住宅。福沢諭吉、大村益次郎、橋本左内、大鳥圭介、佐野常民ら多くの俊英がここで学びました。建物はもちろん重文です。
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洪庵先生にご挨拶をした後、お土産を買いに行きました。
淀屋橋の塩昆布の有名店へ。神宗(かんそう)は天明元年(17811)創業。ビルの1階部分に江戸時代の商家がすっぽりと入ったような意匠の本店。簡素なパックでお安い「ご自宅用」を購入。贈答用の塩昆布の切れ端なども入っているお徳用です。
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北へ向かい再び中之島に上陸。瀟洒な中央公会堂が建っています。大正7年(1918)に開館して100歳を越える公会堂ですが今でも現役で、この日も医療関係の展示会が行われていました。 公会堂の半分地下のような所にカフェがあります。ここで少し休憩。 って、全然街道も進んでいないのですが(笑) 平べったいティラミスにはココアパウダーだけでなく細かく砕いたチョコレートも振りかけられていました。美味!
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「紀州街道その1」なので少しは街道を歩きましょう(笑)
高麗橋1丁目から南下してすぐに道修町に入ります。ドショウマチと読みます。昔から薬商が集まるエリアで、享保7年(1722)には124軒もの薬種商が幕府に登録されていたんだそうです。今でも武田薬品、塩野義製薬、小林製薬、第一三共、小野薬品などの製薬会社が密集しています。
明治36年(1903)に建てられた旧小西家住宅という堂々とした重文の建物があります。黒漆喰がカッコいい。元製薬業で現在は接着剤「ボンド」の製造販売をしているコニシという会社(旧小西儀助商店)の元社屋兼住宅です。ここは谷崎潤一郎の「春琴抄」のモデルになった商家なんだとか。谷崎らしいイビツな恋愛感情を描いたあの作品は、私的にはちょっと後を引く怖さがありました。
かつて酒造業もしていた小西儀助商店にはサントリー創業者の鳥居信治郎氏も丁稚奉公をしていたんだそうで、初めてアサヒビールを販売したのもこの会社なんだとか。酒は百薬の長ってことなんでしょうかね。
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製薬会社の社名を見ながら道修町を西へと歩いて、また街道から離れて寄り道。
御霊神社が鎮座しています。元は少し離れた所に鎮座していた津村神社を、文禄3年(1594)に因幡国鹿野領主の亀井氏が土地を寄進してここに遷座したんだそうです。
御霊神社の西には靭公園があります。ウツボと読みます。魚の名前ではなくて、矢を入れる筒形の容器のことです。公園の西、あみだ池筋には文化2年(1805)創業の「あみだ池大黒」の本店があります。大阪名物「おこし」で有名な老舗和菓子店です。
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堺筋に戻って、南へと進みます。堺へ向かう道なので堺筋。堺を通り過ぎて和歌山へと進むので堺筋は紀州街道なのです。
先述の坐摩神社が秀吉によって移転させられた久太郎町は、信長や秀吉の元で活躍した堀久太郎秀政の屋敷があったことによる町名です。この久太郎町界隈は古くは渡辺という地名でした。摂津源氏である渡辺氏ゆかりの土地で、住所の再編があって渡辺という地名が消滅することになった際、渡辺氏の末裔の方々から反対運動が起こって、久太郎町の中に渡辺の表記が残されました。久太郎町4丁目1番、2番、3番、渡辺という不思議な順番になっています。
久太郎町から2kmほど進んだところに巨大な碑が立っています。安井道頓の顕彰碑です。あの道頓堀を私費を投じて開削した人です。碑にも安井と彫られていますが、成安道頓という名だったという説が有力なんだとか。秀吉に命じられて堀を掘り、秀頼とも親しくしていた道頓は、大坂の陣に際して籠城戦に参加して討死しました。道頓の死後、道頓堀川の開削は道頓と同じ平野郷(大阪市平野区)の商人たちによって継続されて、大坂城で道頓や秀頼や淀殿が亡くなった半年後に完成したのでした。
大阪の一大繁華街となり、外国人観光客が溢れ、若者たちが遊びに来る土地になっている今の道頓堀を見て、道頓さんはどう思っているんでしょうね。この堀の完成後には商業が盛んになって、わんさか人が集まる土地になるだろうことまで見通していたのでしょうか?
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顕彰碑から道頓堀沿いに西へと向かい、人だらけの戎橋筋を南へと折れて、なんばパークスに立ち寄りました。私が高校生だった頃には、まだこの場所に南海ホークスの本拠地である大阪球場がありました。何度かガラガラの球場に観戦に行ったこともあります。当時と同じ位置にピッチャープレートとホームベースのオブジェが埋まっています。ちょっと位置が違うのでは?っという声もあるようですが。
野村克也さんの気持ちでホームベースのところに腰を下ろしてみました。
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南海なんば駅から千日前をブラブラ。観光客のように法善寺横丁に寄ってみました。水掛け不動さんにパシャッと水を掛けてパシャッと写真を撮りました。いつものように彼は感情を表には出していません。苔だらけで表情が分からないのです。
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法善寺の右側のところに細っい路地があります。浮世小路。この路地を北へ通り抜けると道頓堀の人混みに戻ります。
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紀州街道に戻ることを諦めて、誘惑に勝てずに「道頓堀今井」の暖簾をくぐりました。きつねうどんが有名な名店です。ここの何が良いって、喧騒の道頓堀にいることを忘れてしまうような静かで落ち着いた雰囲気。
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ここに来るのは何度目でしょうか?初めて4階に通されました。1階と同じような作りの席です。きつねよりもビールに合う感じがして「しっぽく」を注文しました。薬味の筒に入っているのは山椒入り七味。どっちかだけ欲しい時は言えば頂けるのでしょうか?
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割り箸を割ろうとすると初めから割れていました。念のためお店の人に聞くと、割るのを失敗される方が多いので、お箸の業者さんに初めから割ってもらっているんだとか。インバウンド対策!
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寄り道ばっかりして紀州街道を進んだのは3kmほど。その割に食べるものは良く食べました。明らかに摂取カロリーの勝ちですね。次はもうちょっと先に進んでカロリーを消費したいと思います。
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