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怒らず、怖れず、悲しまず―中村天風

今日一日
怒らず 怖れず 悲しまず、
正直 深切 愉快に、
力と 勇気と 信念とをもつて
自己の人生に対する責務を果たし、
恒に平和と愛とを失わざる
立派な人間として活きることを、
自分自身の厳かな誓とする。
(「誓詞」(『天風誦句集』)

 中村天風の重要な言葉はいろいろあるのですが、その筆頭に来るのは、「怒らず、怖れず、悲しまず」でしょう。
 天風はこれを「三勿」とも言っています。「三つのする勿れ」ということで、すなわち、怒るなかれ、恐れるなかれ、悲しむなかれ、の三つです。

 この言葉だけを聞けば、なんだそれだけかと拍子抜けするかもしれませんが、これほど大切な言葉はありません。
 「怒らず、怖れず、悲しまず」を理解できない人はいないでしょう。しかし、「言うは易し、行うは難し」で、実際にこれを行うのは至難の業です。

 でも、実践することができれば、幸福になれます。いやいや、そんなわけはない、と言う人は、物質的なものによる欲望充足を思い浮かべているのでしょう。

 極貧じゃ絶対に幸福になれない。金持ちじゃなければ、所詮幸福になるのは難しい、と。大金持ちではないにしても、せめてある程度の権力や地位がなければだめだとか、他にもいろんなものが挙げられるでしょうが、とにかく物質的充足がある程度はなければ、幸福には絶対になれない、と思う人は少なくないでしょう。

 資産をうなるほど持っていて、その財産を失うおそれはない。収入の良い安定した、やりがいのある仕事(しかもそれほど忙しくない)がある。そして、定年後も満足できる仕事が待っている。高い地位も名誉もあり、それらは生涯不動のものである。健康にも恵まれており、およそ身体の不快を感じたことはない。体力にも恵まれ、なにをしても疲れを知らない。スポーツも万能である。交通の便利なところに広大な敷地を所有しており、堅牢で快適な巨大な家も建てている。ローンはない。さらに、愛情をもって接してくれる家族や友人がおり、彼らといつでも会える環境にある……

 これだけでは足りず、学歴が高いとか、知力が優れているとか、妻が美人とか、夫がハンサムとか、子供が非常に優秀で親孝行であるとか、誰も持っていないようなビンテージものをたくさん所有しているとか、挙げてゆけばきりがないですが、こうした境遇にあれば、その人は客観的に幸福だと言えるでしょう。それでも、当人がどう思うかがやはり重要だと思いますが。

 これだけそろっていても、やはり何だかんだで悩みがあるのが人間ではないでしょうか。不満、不安や心配というものは、どこからでもすきま風のように忍び込んでくるものです。

 幸福はやはり自分の心ひとつで決まるものなのではないでしょうか。襤褸は着てても心は錦という言葉もあります。これはちょっと違うかもしれませんが。

 さすがにあまりに差し迫った生活のなかでは、幸福を感じるのは難しいかもしれないですが、それでも不可能ではありません。可能にするのは心の力なのです。心ひとつで幸福かどうかを決められるものなら、決めようではありませんか。

 「怒らず、怖れず、悲しまず」

 と言った先から否定するわけではないのですが、天風は「怒らず、怖れず、悲しまず」を実践するだけではまだ足りず、三行も必要だと言います。「正直、深切、愉快」に人と接することも大事なのです。

 個人の主観だけの「怒らず、怖れず、悲しまず」だけではなく、周りへの態度も重要なわけです。余のため人のために生きるべきだと、天風はつねに主張しています。たしかに、人に害を与えつづける悪人が、己だけ良しとして幸福を謳歌できるようでは、おかしいかもしれません。

 怒るな、恐れるな、悲しむな、くらいの言葉は、たいていの宗教でも言われることですから、わざわざ天風を読む必要があるのか、と思われるかもしれないですが、天風のいいところは厳しくないところです。厳しい宗教なら、怒りや悲しみから離れて脱俗的にならなければならないというところまで説くでしょうが、一般人には無理な話です。

 天風は、怒ってもいい、悲しんでもいいと言うのです。天風自身、怒ることも悲しむことも多くはないが、あると言います。人間ですから、まったく怒らず、悲しまないのでは、かえって不気味です。怒りや悲しみの感情をすぐに、すっと収めてしまえばいいのです。そう言われると、怒りっぽく、怖がり屋の私は安心します。 

 


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