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やらされ感満載だと上手く行かない。

今でこそ、個人的に読んだ本の感想文をnoteに書いているが、昔は読書感想文なんてどう書けばいいのか分からなかった。

学生の頃の読書感想文の宿題が嫌だった。
作文の書き方が載っている本を見たけど分からない。書き出しは何て書いていいのか分からない。

軽くあらすじを書けばいいのか?私の感想は中盤?最後?…よく分からん。

自分で読む本を決めて書くパターンと、課題図書が決まっててその感想文を書くパターンがあった。

読書感想文自体、私がやりたくてやっている訳ではないので、感想文を書く為の本を選ぶのも面倒だし、課題図書を読んで書くのも面倒だった。
「何でこの本なの?特筆する様な感想なかったんだけど…何て書こう」と思っただけだった。

学生の頃は本当に作文が苦手だった。
noteは書きたい事があるから、ある程度自由に開き直って書いている。
けど、宿題になると途端に堅苦しい窮屈なものに変貌する。
当時の私に自由に作文を書くと言う発想がなかった。

小学校の先生から電話で「始業式に、夏休みの思い出について作文を書いて読んで欲しい」とあった時、すんなり了承した親に凄い剣幕で激ギレした。
「何で勝手にOKするの!?作文なんか絶対嫌!!やらされる方の身になれよ💢💢💢」
めちゃめちゃごねた。
お小遣いのアップを引き換えに嫌々やる事になった。

小学校の時、給食のポスターを描く人を決める場面があった。
私はそこそこ絵が描けたので、多数決で私が描く事になってしまった。

ぶっちゃけ嫌だった。
「みんなポスター描きたくないから私に押し付けたんだろ?何でやりたくもない事やらないといけないの?…マジで面倒臭いんだけど。」
と心の中で思っていた(多分顔に出ていたと思うけど)

…嫌々ポスターを描いた。無難なツマラナイ作品になった。
みんなが参加する図工の授業では、自分が好きな様に絵を描いていたけど、誰か1人が犠牲になるポスター作成をやらされるのは嫌だった。

「私の絵が認められたんだ!頑張ろう」なんてポジティブには受け取らなかった。そんなポジティブじゃない。

やらされ感が出てしまうとやる気がなくなって、いかにサッサと終わらすかに力を入れてしまう。

大学時代の部活での役職や、納得していないのにやらされた会社での仕事(新卒入社時)もそうだった。
嫌々やって、どこかミスして迷惑かけて…
昔からずっとそう。

何かやる意味を見出だして何とかやりきろうと切り替える事が出来ない。
会社の仕事は給料もらってるんだからちゃんとやれよ、と言う声が聞こえて来そうだ。…プロ意識がなかったのは認める。

やらされ感満載でやる仕事は大した成果を出せない事はつくづく学んだ。

やりたくないことをやるのも勉強のうちだと思って我慢してやれるかが大事だ。
社会に出ればみんな、そう言う場面に直面する。

嫌々やってると言う姿勢でやらない方がいい。
ろくなことならないから。

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