最悪の事態を予測しないと気が済まない習性
年末調整の時期が来た。私は年末調整する側なので、今からやり方を再学習している所だ。
社員の中には、住宅ローンを夫婦で組んでいるらしき人がいたりする。
失礼ながら、「(例え結婚出来たとしても)私には連帯債務で住宅ローンを組んだりは無理だな。みんなすごいな」と感じた。
理由は「離婚する事になったら、どうするんだ?絶対揉めるよね」だ。
そうならない様に努力して行けばいいのだが、「その幸せはいつまで続くか分からない」と心の声が聞こえる。
最悪の事態もなって、困窮したり途方に暮れたり傷ついたりしたく無いだけなのだ。
良い風に言えば、リスクヘッジ。悪い風に言えば、自分も他人もどうなるかなど分からない、大丈夫な保障は無いし信じられない。
未来にどうなるかなど分からない。不確定要素ばかりだ。
仕事が無くなったりした時の為に、今はせっせと貯金している。今の職場でずっと定年まで働ける保障は無い。
気が向いたら、管理部門で役に立つ分野の資格なり勉強したいと思っているが、やる気が無い時は無理しない。
無駄な残業もしないし、抱えきれない量の仕事を抱え込む事もしない。これはストレスや過労で自分を潰さない為。お金を稼ぐ為には、長く健康でいる事が重要だから。心身どちらかでも不調が出ると、戻すまで時間がかかる。底辺だった自己肯定感・無力感を戻すだけでも時間がかかった。
私は独身だが、例え結婚しても仕事は辞めないだろう。仕事がしたい訳ではなく、離婚した時に食い扶持が無いと困るからだ。結局お金だ。生きていく為にはお金がかかる。家族が増えれば更にかかるだろうし。例え子供を連れて離婚になってもお金は要る。どんなに素晴らしい相手と結婚しても、もしもの事は頭をかすめる。
離婚しなくても、相手が病気や失業で一時働けなくなる場合、最悪死ぬ場合だってある。
冒頭の住宅ローンだが、もし夫婦で家を建てたいと思っても連帯債務・連帯保証人だったり共同名義は渋るかも知れない。抜ける手続きが面倒くさそうだ。
結婚・出産自体も、最近あまりメリットを感じなくなった。相手を尊重し時に歩み寄りながらの生活、増える親戚付き合い、子育て、家事と仕事と育児の両立…私に出来る気がしない。縛られたくない、人からあれこれ言われたくない自分にはハードモードだ。家族が増えれば増えるだけ悩みも多くなる(これは親戚が言っていた)
ネガティブな思考なので、思い切った行動を起こそうとすると、常に最悪の事態を思い描いてしまう。腰が重くなってしまうのはそのせいかも知れない。
誰に依存しなくても、一人でちゃんと生きて行ける様にしよう、だけ考えている。