【実写版ムーラン】魔女シェンランは「こじらせ女子」なんかじゃない
ある日いつものように東洋経済オンラインの上位記事をブラウズしていた時のこと。「ディズニー実写「ムーラン」公開がざわつくワケ」という記事が目に入る。
その中に今回実写版で新たに追加されたキャラクター魔女シェンランについて、気になる記述がありました。その内容がこちらです。
「葛藤する彼女のそのこじらせ加減が妙に共感できます。むしばまれている状況がより現実的で、こじらせ女子代表といったところ。」
ちょっと待って、信じられない!魔女シェンランはこじらせ女子なんかじゃじゃない!彼女は葛藤を抱えながら自らの人生を自分の意志で選択しきった、立派な女性!こんなのが上位記事だなんて、たまったもんじゃない。
このNOTEでは、シェンランが何の葛藤を抱えていたのか、ムーランと出会いどのように変わっていったのかを紐解いていきたいと思います。
【0】シェンランとは?
まずシェンランの概要を説明します。シェンランとは、千羽の鷲に姿を変えることができる「魔女」で、その能力から、奇襲や陽動で大活躍するbadass villanです。
物語では、中国皇帝の命を狙う、ボーリー・カーン軍と行動を共にし、シルクロード沿いの砦を制圧して回ります。
【1】シェンランの抱えた葛藤
シェンランは、カーン軍と行動を共にしているだけで、全く仲間ではありません。その証拠に、開始約10分でカーンがシェンランを「魔女」と呼んだ時に、シェンランがカーンの首根っこを掴み、
「Not witch! Warrior. I could tear you into pieces before you blink」
(魔女ではない!戦士だ。お前が瞬きする前に殺すこともできるぞ。)
とブチ切れます。しかしカーン軍の戦士はシェンランを戦士とは認めていない上に、シェンランの素晴らしい戦績にも関わらず、「魔女は信用できない!」と言われてしまいます。そんな時にカーンは仲間の戦士に言い放ちます。
「the witch serves me, therefore all of us」(この魔女は私に、つまり私たち皆に仕えているのだ。)
そんな中でシェンランはとうとう、戦士でいることを諦め、意志のないままカーン軍に従うことになります。
「Now I know I serve you. I am the slave.」(今は私はお前に仕えているのだということが分かるよ。私は奴隷だ。)
それもそのはず。後にムーランとの会話で明らかになりますが、シェンランはかつて、戦士になりたかったものの、女であることを理由に認められず、軍から追放されてしまった過去があります。不名誉の烙印を押されてしまった彼女は、家族の元にも村にも帰れず、孤独に人生を過ごします。
彼女は自分が生きたい生き方をすることができず、自分を自分として認めてくれる居場所も持たない。自分を都合よく使う人に意志なく従うだけの存在。虚無感、喪失感、人生に対する諦め…どうしても活路を見いだせないまま、苦しさを抱えています。
【2】自分の居場所を自分で作る
そんな中、自分と同じ状況にいながら全く異なる結果を導き出したムーランを見て、シェンランは驚き戸惑います。ムーランは女であることが明らかになり、軍を追放されてしまいますが、それでも諦めずに皇帝の命の危機を訴え、男の戦士を引き連れて皇帝を救いに向かいます。
「皇帝がどこにいるのか教えて。今からでも遅くない。あなたも戦士になれる(意訳)。」とムーランはシェンランに訴えます。
自分にはもう遅い…と葛藤しながらも、シェンランはムーランを皇帝が捉えられている場所へ案内します。シェンランがムーランを連れてきたことに対し、カーンは激怒し、ムーランに向かって弓を放ちます。シェンランはムーランを身を挺して守り、亡くなってしまいます。その死に際に、ムーランに対して放った言葉はこちらです。
「take your place」
このtake your place、公式の日本語訳ではどうなっているのか分からないんですが、要は「自分の居場所を自分で作れ、自分の人生を自分で決めろ」ってことじゃないかと思うんですよね。
シェンランは、ありたい姿の自分と社会からのプレッシャーにずっと苦しんできたわけです。でも自分がありたい姿であるために、周囲を巻き込んで社会を変えていくムーランを見て、「自分も自分でいていいんだ」とか「自分も自分の人生を生きたい」と思ったに違いないわけですよ。
そんな彼女が自分で下した人生最期の選択が、ムーランに皇帝の居場所を教えて戦士の道を進み、自分にそんな生き方を教えてくれたムーランを守ることだったわけです。最後の最後に彼女は自分の人生を生きたのです。
【3】本当にシェンランを「こじらせ女子」って呼ぶの?
シェンランは人生の長い間、自分の正しい生き方を探してさまよっていた。それでもムーランと出会えたことで、大人の女性として戦士となることを再度決意した。しかも、今度は今までの迷いや葛藤がある状態ではなく、本当に決意した。
私たちは、社会から受ける抑圧やプレッシャーに対抗する手段を持たない人々を「こじらせ女子」と揶揄して蔑んで終わらせていいのだろうか。苦しみながら自分の人生を選択したシェンランは「立派な戦士」ではないだろうか。