他者を介してようやく自分
今度大学の友人と会うことが決まってハッピーハッピー
猫ミームの飛び跳ねる私がいる。
猫ミームってもう消えた?
我が家では未だにハッピーハッピーしてるし
アヴリル・ラヴィーンの猫になるし
EDMで踊る猫になる
(Ben 10 Remixxxって曲名らしい。初めて元ネタ調べた)
私は短大だったから友人と一緒にいられたのは2年だけだった
でもその2年が楽しくて楽しくて
友人も1番一緒にいたわけじゃないのに、卒業後も連絡しやすくて、本当にありがたい。私の大学の思い出をここまで繋げてくれている。
あと、彼女から影響されることも多いし、考え方や生き方が違うから刺激を受けることが本当にたくさんある。
流れるままに生きているような緩さを感じさせながら、他者になびくことはなく自分が自分でいられるようにしっかり軸は揺るがない。
私とは違うその立ち姿を見て、私ならを考えさせてくれる。
なんかやっぱり人と会わないと自分の考えとか自分の見た目とか分からないんだよね。
会話しながら、私こう思ってたんだ~とかこんな思考回路なんだ~って自分を知る。
他者の輪郭をしって、自分の輪郭もより詳細になる。
会いたくない人とは合わなくていいと思うんだけど、
会いたいなって思えたら会ってみなきゃね
その人を介した私に会える。
春まで高校の友人と職場が一緒だったから
毎日会って、毎日お話ししてたけど
同じような話題で同じような店舗でずーーっと話すから
思想みたいなのが彼女に影響されて偏るのを感じた。
その時期に行った美容室ですごい感じてしまった。
悪いことじゃないと思うんだけど、思想が偏るのはあまり好きじゃなくて
色んなモノに触れたうえで自分の意見を見つけていきたいから
やっぱり色んな人間に会うしかないんだ。
YouTubeで探すのはなぜか苦手なので(何を知りたいかも自分でわかってないから)
こういう時は物語でもいいから小説の方が気楽なんだ。
小説も他者の思想で出来ているものだから。文章は絶対に人間というか中身が見える。
AIでも取り込んだ内容から生み出すでしょ。
夜中の布団の中でTwitter見ながら脳を回すだけじゃダメなんだよ
しかも寝ないから疲れるし、ヤメロそんなもん
不眠の人はゆっくりしてもらって、寝られる人は寝てもらってな。
自分の中には自分はいないんですよ。ひとまず私は。
という日記。