第3話:人と違うということ。
こんにちは、すきっぱあけっぱです。
自分と向き合う系の話です。
年がら年中、ふとした瞬間に人間の存在意義について真剣に熟考したり、こんな時にはこんなふうにした方がいいよなとかそういうのを考えたりしています。高3ながらにして、毎授業に入る前は目標を考えてからしかやっていけなくなってしまったので、1人で授業の目標、例えば、「先生の話を何割わかるようになる」「聞くことに集中する」など、小学生の子がやっているようなことを毎日のようにやっています。
(この方法は自分の好きなイギリス人の先生が教えてくれました。小6の末っ子に「小学生かよ!」と馬鹿にされた方法です)
昔から周りから浮いているなと自覚していました。自分の世界に入り込んでしまい、集中すると周りが見えなくなる、勝手に想像力を働きすぎるなどなど。さまざまなことが私に起こっています。その度に、「なんで自分はこうなるんだ」と思っていました。通っている高校でも毎回先生に泣きながら「なんでこうなるん?!マジで自分が意味わからん!」と毎度怒っているような気がします。そんなことを馬鹿みたいに続けていて、それを客観視した時の自分は納得できるのか?と考えたりもしています。しゃしゃり出ている自分も嫌いだし、静かに何も言わずに黙っている自分も嫌い。結局何をしても私は自分のことが嫌いなんだなと思いました。そんな私の性格はえげつない人見知りながらもお喋りな意味のわからない二面性な性格。常に何かと葛藤しているし、授業なんかに出る気なんてない。そもそも教室に入れないということが多いです。
先生とは仲がいいので、よく英語で話したりしていますが、同年代の子とは唯一仲の良い女の子としか話しません。その子とは全く話さない時もあります。
私は小中高と最初は仲がいいのに、後から疎遠になってしまい、全く話さなくなるということがめちゃくちゃ多いです。そんなことが多くなり、
本当に仲の良い子は誰なのか、とそれも真剣に考えたりもしたりしてます。
側から見れば、何をそんなにごちゃごちゃと…と言われるかもしれませんが、私の心の中ではどこか重要な部分で、真剣に考えるからこそ新しい視点を得られるかもしれません。
よく周りに変わった子だとよく言われます。
理由として、何を考えてるのかよくわからないと言われたり、「何をそんなに気にしてるの」と言われたり。散々言われ続けてきました。
でも、どこか自分の中の「信念」があって、それが壊されたりすると、自分でもびっくりするほどにキレたりしてしまいます。それが良いことなのか悪いことなのか。
感情を出すのが下手なので、言葉に表すこともできず、文字で伝えています。
生きるのが下手で、不器用な私です。
そんな私でも、ラジオと出会い、リスナーの方々と繋がって、「周りと違ってもいいな」と感じることができました。「自分らしく」なんて意味わからなくて、嫌いな言葉だけども、不器用なりに「自分らしさ」を探して行けたらいいなと思います。
最後まで読んでいただいてたありがとうございました!コメント書いてくださったら嬉しいです。