天使に会って愛が溢れた話
天使に会った
それは確かに天使だった。
私の腕の中で確かにあるその命(エネルギー)
ミルクを飲んでおむつを変えてただそれだけ、その欲求を満たすと、スゥ〜っと意識が元の世界、源に帰る喜びの表情を一瞬見せ、そのまま眠りにつく。
腕の中にいても、ベビーベッドへ移動しても、大きな物音を響かせたとしても、もう彼は自分の世界、眠りの世界に旅立っている。
母乳か粉ミルクか
私は母乳がいいと、母乳が正義だと、思い込んでいた。
娘が息子(私の孫)を産んで当たり前のように母乳で育てるものだと思い込んでいたが、「完ミで育てる」と返事が来た。
完全ミルク? なんで???
母乳は与えれば与えるだけ母親の体から泉のように湧いて出てくる。
出せば出すだけどんどん作られるから、赤ちゃんが飲みきれなかった分は搾乳して出してあげないと乳腺炎を起こしてしまうこともある。私は1回だけそれで痛い思いをした。。
どれだけ与えても好きなだけ与えても消化不良を起こすことはない。
温度管理もする必要はないし、何より経済的だし、乳首を刺激されるホルモンが出て産後の母親の体の回復も早くなる。
母親の獲得免疫も母乳で自然な形で子に与えられる。
夜中眠くても添い寝しながら乳首を吸わせればいいという、お手軽さ。
メリットしかないのに。。。
そういう私は娘を完全100%母乳で育てたことがちょっと自慢だ。
であるからして、この娘の発言に驚きと心なしか悲しかった。
母娘の関係。。
普通の(何が普通かわからないけど)良好な母娘関係なら娘も母親の言葉に心を傾けるだろうし、母親も経験者として教えてあげたいという気持ちが働く。
だけど私たち母娘はちょっとしたフックの掛け違いがある。
娘は私の発言を聞き入れるという態度ではないのはわかっていたので「母乳の方が楽なのに・・・」とだけつぶやいた。
遠方に住む娘は産後も夫婦だけの新居で子育てをするため、私は娘の家に滞在して、数日お世話をすることになった。
娘の「手伝いに来てほしい」という言葉があったから。
頼られた母としては、50歳を過ぎて体が気持ちほど動かなくなっているという体力的不安を抱えながらも、嬉しくて色々と手伝ってあげよう!と意気込んでいた。
コロナ禍で産前産後、旦那さんにも頼れず一人ぼっちで過酷な痛みに耐えた娘を労いたかった。よく頑張ったねーってよしよししたかった。少しでも体を楽にさせてあげたかった。
この関係にも一つドラマがあったが、それは次回にしたためようと思う。
天使初めまして!
なかなか娘のお腹から出てこようとしなかった天使は3700グラム超えというビックベビーだけど、やはり久しぶりに触れ合う新生児は思っていたより小さくて可愛くて。
首が座る前でふにゃふにゃしてるし、赤ちゃんの懐かしい匂いがする。
完全ミルクの天使は哺乳瓶から上手にミルクを2、3分で飲み干し、あっという間に昇天していく。(笑)
全然手がかからない。
可愛い天使はぐずることもなく、大泣きすることもせず、お腹がいっぱいになったら2時間から長い時は4時間くらいぐっすりと寝ている。
そういえば。。と私の娘の子育て時代を思い出していた。
20数年前の子育て時代
娘も3600グラム超えのビックベビーで最初から母乳を上手に飲んでくれた。だけど上手に飲んでいると思うけど、20分も30分も吸い続け眠ったかな?とお乳を離そうとすると「はっ!」と目を覚まして乳首を探してふにゃふにゃ泣き出す。
仕方なくまた乳首を吸い続ける事になる。
そして、乳首からやーーっと離せたと思って、腕の中からベッドに移動させようとすると、背中にスイッチがあるかのように背中がベッドに触れた途端、また目が覚める。
その繰り返しが延々と続く。
昼も夜も。
途中オムツを変えたり自分もご飯も食べたり、洗濯もあるし、時間に追われて自分の体をゆっくりと休めるような時間はなく、母親の私もぐったりだったなー。
母親学級で知り合った同じ時期に出産した母親仲間とよく連んで交流をしていたのだが、
その中の一人は、母乳がなかなか出ない事と、赤ちゃんも上手に乳首を吸えなくて、粉ミルクと混合にしてみてはいるが全然体重が増えていかない事をとても気に病んでいた。
母乳で育ててあげられていない事を「母親失格のような罪悪感」でノイローゼ気味だったなー。
母乳だと結局どれだけ飲んだか分からないから、体重測って増えた増えないって気にしてたなー。
概念の転換
過去の色々が頭に蘇りつつ、目の前の孫のお世話をしていると、
母乳の方が楽チンだと思ってたけど、粉ミルクってこんなに簡単に作れるんだ。。
消毒も電子レンジで手軽にできるキッドがあるんだ。
電気ポットも設定で70度を常に保ててる機能があるんだ。
飲んだ量が目に見えてわかるから栄養が足りてないんじゃないか?という不安にならなくていいな。
母乳を与える役割は母親しかできないけど、この至福な行為をおばあちゃんがさせてもらえるんだ。なんてありがたい!
哺乳瓶からミルクを与えていると、忘れかけていた私の中の女性ホルモンが溢れ出てきて母性が蘇り母乳が出そうな気になったw
娘の義理母は初孫のお世話をした時、終わったはずの生理が復活したと笑ってた。
その赤ちゃんパワーは確かに。「ある」
赤ちゃんという存在は、存在自体が尊くて幸福でエネルギーに溢れた宝物で感謝で抱かせてもらえるこの幸せに涙が溢れてくる。
なんなんだ このやばい生き物は?!
娘から「こうじゃなければいけない。」という概念を吹き飛ばしてもらった。
愛の塊に触れて愛を思い出し愛が溢れて感謝と愛のエネルギーに包まれた。
おばあちゃんにさせてくれて娘よ! ありがとうねー( ; ; )
終わり
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