ミリアニ第一幕を見て「ミリオンライブ」とは何なのだろうと考えていた
先週からTVアニメ「アイドルマスター ミリオンライブ!」(ミリアニ)の劇場先行上映が始まりましたね。今は三幕構成の第一幕。
6~7年追っているのでどうしても贔屓目は入りますが、「とても良かった」というのが一番の感想です。
鑑賞後私はX(旧Twitter)で「ミリオンライブ」のアニメだった、と表現しました。
他の方の感想を見ていると似たような表現がとても多くて。
もう少し細かく言えば、アニメ『ミリオンライブ!』は「ミリオンライブというコンテンツ」を体現する作品だった、ということになりましょうか。
じゃあその「ミリオンライブというコンテンツ」って一体何なのだろう。その核となるもの、本質的な部分とは。
それを表してみたくなったのがこの記事です。なので純粋なアニメの感想とは違うかもしれません。
タグ「ミリアニ」で検索すると素敵な感想記事が沢山出てきます。「熱」に触れたい方はそちらを読むのが良いでしょう。
またコンテンツを知っている前提で書いていきますので、ミリアニで初めてミリオンに触れた方にはきっと優しくないです。ご容赦をば。
第一幕のネタバレも含みます。
前置きはこれぐらいにして。始めていきましょうかね。
ミリオンライブの特徴は団結・一体感。
とよく挙げられている印象です。
楽曲『UNION!!』の有名なフレーズ「ひとりも手放さない」が象徴するように、仲間達で手を取って団結して進んでいく。
それがミリオンなんだと。
一方でアイドル達に個性がないのかというとそんなことはなく、1人1人がしっかり「個」もしくは「私」を持ってもいる訳です。
楽曲面でそこを強調したのが『夢にかけるRainbow』ですね。
個と集団の関係で言えば、各アイドルの個が先にありそれが1箇所に集まったんじゃないかなと。
で、正にミリアニでもそれを描いていて。
描写の順番は個性→団結でしたよね。短くても各々のやりたいこと・姿勢・考えていることをまず見せた。
「バラバラだけど集まった」と4話で未来が語ったことが、ミリオンの関係性としてのコアなのでしょう。
じゃあ団結したアイドル達は何を目指すのか。
何のために団結するのか。
ここにコンテンツの名前「ミリオンライブ」が絡んでくると思っています。
ミリオンライブ。100万のライブ。
私は「100万回ライブの公演をする」と解釈していました。
他には「100万人を動員するライブ」と見ても良いでしょうし、アニメ本編では(直接言及はしていなかったと思いますが)「100万の命の鼓動」と遥かにスケールの大きな考えも提示されました。
いずれにせよそこにはアイドル達以外の存在が前提としてあって。
「ミリオンライブ」の語にはアイドル達の視線の先の誰か、という意味も含まれているとしか思えないのです。
その誰かに対してアイドル達は何をするのか。
と言われたら、「アイドルは光を届ける」というのが恐らくアイドルマスター的な回答です。
1話のASライブ、めちゃめちゃキラキラしていました。未来に静香に他の客に、目一杯光を届けていました。
そして100万という大きな数字。並大抵のことで到達できるものではありません。
届けようとし続けなければ、そこに至ることはまずないでしょう。
まとめると、
アイドルとして誰かに光を届け続ける
のが「ミリオンライブ」なのだと思います。
それをスタートは「手作りのぶどーかん」から、愚直に愚直に積み重ねていく。とてつもない野望です。
そう言えば『Rat A Tat!!!』に「野望」って単語が出てきましたね。
その『Rat A Tat!!!』の歌詞でちょっと解釈が出てきました。
サビのところ、
あなたの夢をあなたに気づかれずに終わらせはしない
それを伝えたい、だから届け希望の音
とも言えるのではないかなと。
ひょっとしたらすごい応援歌なのかもしれません、この曲。
ここで個性と団結の話に戻りますか。
「光を届け続ける」のが共通の目的であるなら、個々人の夢や目的とはバッティングしないはずです。
むしろ各々が自分の夢に向かって突き進むことがそのままアイドルとしての輝きを増し、1人1人の夢と全体の夢はシームレスにつながります。
つまり個性の発揮と団結は両立できるんですよね。
だから団結できる。「私」がないがしろにされる訳ではないから。
届けるという言葉を使ってきましたが、アイドル達は「きっと届く」と信じている気もします。
人に届いて受け取られることを信じている。人間讃歌だ。
そんなコンテンツを好きになれて、私はとても幸運だと思います。
これからますます、ミリオンライブの魅力が届いていってほしいですね。
ミリアニは「ミリオンライブ」のアニメ、つまり「ミリオンライブ」が凝縮されたアニメです。是非映画館で、テレビで光を受け取ってください。