【ミリシタ】「神と神降ろしの少女」のイベントコミュ考察と妄想(1.7時点)
※本記事はミリシタのイベント「プラチナスターテール Clover's Cry ~神と神降ろしの少女~」のストーリー考察です。(ネタバレ含む)
虚実サイド4話(1.7公開)までの情報で書いています。
あくまで一個人の考えですのでご了承ください。
1.前村長の行動
まず前提として、この話には村人と神の間に対立構造があると思われます。
前村長(夜羽那父)が神との契約を切ろうとする等、神と人の利害はもはや一致していない。そう言ってしまって良いのでしょう。
前村長は凛音亞に神降ろしをさせる方向で動いていて、それは神にとって都合が悪いのだと逢路蘭の口から語られています。
さらっと神にとって都合が悪いと書きましたが、前村長の方針は「神を喜ばせたい」深淵海によって潰されていますからね。
なのでここはまず間違いのないことかと。
本来であれば儀式は村長を継ぐ者が行うため、それに該当するのは夜羽那です。
ですが夜羽那が儀式を成功させたとして、村人達はまたいつか来るであろう厄災にずっと怯えなければなりません。
この従来通りの状態を、少なくとも前村長は良しとしなかった。そんな風に考えられるのです。
では何故前村長は凛音亞に儀式をさせる気でいたのか。
それは僅かでも勝算があったから、という他に考えられません。
勿論凛音亞が儀式で命を落とす可能性もありますが、成功すれば神にとっては確かに面倒なことになるのでしょう。
だからこそ逢路蘭も多少なり警戒していた。私はそう思います。
そうなると次は、何故凛音亞の儀式が神にとって不都合なのか。
この部分は完全な憶測なのですが、凛音亞の病弱orザクロアレルギーの性質がキーなのかもしれません。
その上で「凛音亞が村長を継がないこと」で初めて対抗手段たり得たのかな、とも思ったりして。
だから前村長は長女を家から出した、というのは考え過ぎでしょうか。
ところで前村長が急逝した結果、夜羽那が儀式をやる可能性が実は出てきちゃったんですよね。
そうなったら元の木阿弥、前村長の考えは全て無に帰す訳ですが。
夜羽那が自分で儀式をやらなかったのは、入れ知恵があったのか我が身可愛さ故なのか。
ここも明かされたら嬉しいですね。
それにしても前村長、娘たちに大事なことを何も言えず不幸を広げてしまうとは…。
2.村はループしているのか
話は変わって村がループしているのか、について。
メインの時点ではループ説になるほどと思っていましたが、今はどちらかと言えば懐疑的です。
永混と逢路蘭が特殊で、老いずにずっと生きているだけで。
手がかりがその2人しかないので、ループと言うには乏しい。というのが今の立場ですね。
勿論ループしていない、とも断言はできないんですが。
永混の「どうしていつも」は、長い時間の中で似たような光景を沢山見てきた表れで。
永混は何度も村人達を助けようとして、その都度裏目に出て自身も死を迎えて。
しかし人ならざる身故に復活して、また悲劇を繰り返して。
それを逢路蘭に「懲りない」と言われるぐらいには繰り返してきたのかもしれませんね。
とは言え正直なところ、今の私は永混という人物をよく掴めてなく。
というより何か明かされる度に彼女の輪郭がどんどんぼやけていってる感じがします。
極端に情報が絞られてるせいなのかしら。
とりあえずまだまだ分からないことは山積みだし、残りのコミュで全てが分かるとも思えません。
難しいとは思いつつ、本なりドラマCDなりでがっつりと描写してほしい。
なんてことをひっそり思っていたりします。