#26 秋になると果物はなにもかも忘れてしまって(八木重吉)/いちじくの赤ワインコンポート
秋の果物がたくさん並ぶようになった。
いちじく、梨、巨峰にピオーネ…。
たっぷりと果汁をたたえ、ぽってりと、たわわに熟れた果物たち。
秋になると果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実のってゆくらしい
―八木重吉
秋の果物を見ると、明治期の詩人・八木重吉(やぎ・じゅうきち)の詩を思い出す。
「うっとりと実ってゆく」…これは秋の果物ならではの表現。
たとえば春のいちごやスモモ、夏のキウイやグレープフルーツにはこの表現はそぐわない。やはり、芳醇でたっぷりと実る秋の果物にこそふさわしい。
庭のいちじくはすべて忘れながら熟れゆく
9月のはじめ。わたしは岡山のIDEA R LABというところに滞在していた。
そろそろお昼時というときに、「いちじくが庭にどんどん実るの」と、LABの大月ヒロ子さん。
「熟れたのをとらないと、はじけちゃうし」と、庭にとりにいった。
庭の奥の方で、ぽってりと眠そうないちじく。
夏のけだるさや暑さもなにもかも忘れてしまって、ゆっくりと熟れていく。
うっとり、たっぷり―いちじくを赤ワインでことこと
「うっとりと実ってゆく」
この詩にあわせて、いちじくの赤ワインコンポートをつくる。
コンポート(compote)は、フルーツをシロップやワインで煮こむヨーロッパ生まれの調理法。ワインを入れないレシピもあるけれど、わたしは使う派。ワインの芳醇がこれでもかというくらいに果物の香りをひらいて、台所全体を包む。
いちじくは白ワインでも赤ワインでもおいしいけど、この詩の芳醇な感じはやはり赤。砂糖をどっさり使うのではなく、花の香りのする蜂蜜を使い、そのものの甘さを引き立てている。
【材料】
・赤ワイン150cc
・水 100cc
・はちみつ 大さじ2〜 お好みで
・白ワインビネガー(レモン汁でも可) 小さじ1/2
・いちじく 3〜4個
【作りかた】
①いちじくはさっと水をくぐらせ、汚れをとる。
②鍋にすべての材料をいれ、落し蓋をして弱火で15分ほど煮る。
③粗熱をとり、冷蔵庫で冷やす。
白ワインビネガーを使うのは、すこし酸味をいれることで果物の甘みを引き出し、輪郭をくっきりさせるため。今回は「うっとり」感を重視して入れなかったけど、つぶした黒胡椒やカルダモンを入れてもスパイシーでおいしい。よりうっとりするなら、バニラアイスをそえてどうぞ。
無限のあたたかさが降り注ぐ詩
素朴でみじかく、でもぽっと心に灯りが灯るような詩を多く詠んだ八木重吉。彼は秋が好きだったようで、秋の詩をたくさん残している。
「素朴な琴」
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしづかに鳴りいだすだらう
八木重吉と言えばこの詩。
絵や音楽などにもインスピレーションを与えてきた。
秋をテーマにした詩は世界中にあるけれど、「さみしさ」とか「ノスタルジー」を感じさせる詩が多いような気がする。いっぽう、彼の詩は、あかるい美しさがあり、しずかな喜びに満ちている。淡々としたことばで書いていながら、あたたかみがある。子どものころから素朴できれいな心の持ち主だったんだろうな、と思う。こういう詩のことばは、真似しようとしても真似できない。
今日とりあげた詩も、ただ秋の果物が実っている、それだけなのに、彼のことばを介すことで、光が射し込み、なんとなくうれしい気持ちにさせられる。詩人・高村光太郎は八木重吉を讃え、こんなふうに言っている。
「詩人八木重吉の詩は不朽である。このきよい、心のしたたりのやうな詩はいかなる世代の中にあっても死なない。これらのやさしい詩をよんで却(かえ)って湧き出づる力を与へられ、これらの淡々たる言葉から無限のあたたかさに光被せられる思いをする。」
『定本 八木重吉詩集(彌生書房)序』より
もしこの記事を読んで彼のことが気になったら、ぜひ詩集をぱらぱらとめくってほしい。わかりやすい言葉でかろやかに書かれているのに、しんと美しい、さみしい、けれど無限にあたたかく、生きる力をもらえる…そんな詩が並んでいる。
作者とおすすめの本
▼作者についての私的解説
八木重吉(やぎ・じゅうきち)1898−1927 東京(多摩)生まれ。
内気で寂しさをかかえた少年だった重吉は23歳で詩作をはじめる。学生時代に洗礼を受け、クリスチャンであった。妻とみ子とは恋愛結婚で、家族には反対にあい勘当のような形で結婚。2人の子に恵まれるも、29歳で結核で死去。
さて、生存中には詩集『秋の瞳』を一冊出したのみでほぼ無名だったけれども、こうして現代まで読みつがれているのは数々のドラマがある。
▼妻・とみ子と再婚相手の、重吉への想いが実を結ぶ
重吉の死後、さらに二人の遺児も病死してしまい、残されたとみ子夫人。それでも詩集の刊行をめざし、出版関係者をあたって奔走した。戦下の出版困難な1942年に、草野心平らとともに念願の『八木重吉詩集』(山雅房版)を刊行。
また、とみ子の再婚相手である歌人・吉野秀雄も、重吉を世に知らしめることに尽力した一人。1944年頃、とみ子は吉野の家事手伝いをすることになった(とみ子は、バスケットに重吉の詩稿や写真を詰めて現れたという。空襲から守り抜いてきたものだった)。秀雄は、とみ子によって重吉を知り、夢中になる。やがて、前妻を亡くしていた吉野秀雄ととみ子は再婚した。評論家の小林秀雄が重吉の詩に接したことをきっかけに詩集が刊行され、重吉のことを多くの人が知ることに。この出版には吉野が尽力した。
こういうわけで、とみ子夫人が悲しみから立ち上がり詩集づくりに奔走したのはもちろん、吉野のがんばりも本当にすごい。さらにさらに、吉野はこんな歌を詠んでいる。
重吉の妻なりしいまのわが妻よためらはずその墓に手を置け
(かつては重吉の妻だったわが妻よ、ためらわずに重吉の墓に手をそえてやりなさい)
われのなき後ならめども妻しなば骨わけてここにも埋めやりたし
(わたしが死んだあとだろうけど、妻が死んだら分骨して重吉の墓にも埋めてあげたい)
まじかよ〜〜〜〜懐広すぎる〜〜〜〜〜(叫び)
で、本当に、とみ子夫人のお墓は八木重吉のそばにあるそう。
そして、とみ子夫人はさりながら、複雑な葛藤がありまくったにちがいない吉野秀雄をそこまで駆り立てた八木重吉の魅力もまたすごいのである。わたしもまたその魅力に惹かれている一人でもあり、これらの「ものすごい愛」に感謝したい。
▼おすすめの本
しかし、詩集が世に出るって、ほんとドラマやわぁ・・・。
吉野秀雄もよんでくれ頼む〜〜!