親離れメモ

前は家族にはたくさん感情が動いていたけど、諦める気持ちや、彼らの不幸の責任を負う必要はないのだと感じてから、少しずつ手放せている

わたしがほしかったものはどこにもなかったのだ
家族が仲良く思いやり合い、それぞれが自分を大切にして明るく楽しく生きるような家は

それと同時にこの人たちは他人に近い存在だという感覚が強くなって驚いている
静かな確信に近い

ようやく親離れしたのかも
「家族だから」という執着があったけど、内容で見たら家族でもなんでもない
ともに生活した、育ててくれた恩はもちろんあるが、好んで生まれたわけではないし

わたしはただ寂しかった過去の埋め合わせをしたくて、もともとその能力がない人たちに無理な期待をしていたんだ

わたしは「この人には自分を大切にするとか人を信じるとか無理なんだから諦めな…」というテーマを、他人に対して何度も繰り返してきたように思う

それはとりもなおさず家族への期待そのものだったのだ

パターン見抜いたり
ああ、よかった

たとえ身内でも恋人でも、自分自身を大事にできない人を助けることは不可能だ
そしてそれによって本人に起こる不幸や苦しみを本人以外の人間が取り除こうとするのは、たぶん違うと気づいた(俗に言う共依存)

人生は、その人が自分自身をどのように扱っているかがそのまま表れる
だから、自分を粗末にしている人は、粗末な人生になる

それによる苦しみは、自分が自分をどれくらい愛せてないか、気づける幸せな機会でもあるんだと思う

だからまわりは不用意に助けようとしなくていいし、その責任を負うくらいなら、自分自身の幸せに集中するべきなのだと思う
切り捨てるのも、信頼であり、愛なのだと気づいた

家族だからって愛さなきゃいけないの!?と怒ってるときってまだ情があって、ガチで無理して愛さなくていいって気づくとむしろまあまあな他人くらいの気分になるな

関係性って名前で決まるんじゃなく中身で決まるのだと思う
いかんせん名前が先行すると執着してしまうけど
中身が家族じゃないならそれは他人なんだと思うし、それがあるがままならそれでいいのだろう

私が抱えていたのは、家族が幸せで仲良くなきゃ嫌だ〜 家族がいなきゃヤダァっていう執着で
それを能力のない人たちに期待していただけだったのだ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?