存在の後ろめたさ、罪と美
そなえものとしての大きな羊が美の語源だ。
犠牲が大きいほど褒められたこととされるのは人間の本能なのか。
自己価値を投げ捨てることによってみずからの潔白を証明したがる人種がいる。私はその人たちのことがすこぶる苦手で、まだ乗り越えられていない。
自分を信じることでしか超えて行けないもののように思う。
自殺志願者、退廃主義者、それも本気の、それらの人々の信じているのはみずからの潔白なのだと思う。わたしはその潔白にいつも断罪されているようなきもちになる。
死ぬつもりの人を助けるために崖から飛び降りることが出来ない人間は汚いのだろうか。私はそうではないだろうという気持ちの元自分の生き方を選んだと思うけど、いつもいつも幻聴のようにそれらの暗い露悪主義者たちの声がきこえてくるきがする。ほらみたことか、おまえは犠牲を払わないからなんにも美しくないのだと。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?