#未来から来た女性
10年前。春、あんなにも美しく闘うひとに初めて出会った。
大学生時代所属したハンドボール部の先輩だったそのひとは、私が入部した1年生のときに在籍していた4年生で唯一の女子プレイヤーだった。
ひろみさん。いつでも穏やかでおおらか、すこやかに焼けた肌が美しい、南国育ちの女性。
会えば「ふみ~!おつかれさま!」と明るい声で名前を呼んでくれて、後輩に元気がなければ「どうした?」とやさしく励ましてくれる。弱音を吐いたところは、少なくとも私たち1年生はついに見たことがなかった。
ほかの先輩たちはよく、「ハンドボールやってると性格悪くなるよ」と言っていた。
親元を離れたばかりの私は好奇心にあふれていて、なんでも挑戦してみたいとハンドボール部に入ったはいいが、運動がからっきし苦手。ハンドボールという競技の存在すら見学に行くまで知らなかった。これが、なんとも激しいスポーツなのだ。
ゴールにボールを投げるためひたすらに走り、跳び、パスを回しあって行われる試合はスピード感がありダイナミック。
敵を押しのけ、出し抜き、ボールを奪い合う。
女子チームの試合は、時間とコートの広さが同じである男子と比べるとどうしても基礎体力が劣る選手が多いため、そのぶん駆け引きが重要となる。
にらみ合い、舌打ちをして、行く手を妨害しあう。
普段は人に攻撃的な発言なんてできないような人でも、コートでは心身ともに攻撃的なプレイヤーに、なんてことも珍しくないようだった。
そんなコートの上で、ひろみさんだけは、敵をにらまずに仲間とゴールだけを凛としたまなざしで見つめて走っていた。
失敗したら「ドンマイ!」と言って笑顔をくれ、パスがうまくできたり積極的にゴールに挑めたときには「ふみ、すごい!」と一緒によろこんでくれた。その上、表情を変えずに淡々と敵からボールを奪い、すばやく駆けていく。
激しい闘いの場にあって、やさしいまま強いひとだった。
ひろみさんは秋の大会で部を引退し、春に大学を卒業した後は海外で就職した。ほかの部員に部活以外での生活をあまり知られておらず、連絡先もわからない。
私はその冬に身体を壊してしまい、春を過ぎたころ、部を離れた。
やがて私も大学を出て、就職とともに上京した。
4年目に転職してきた今の職場は、社風が合い上司にも恵まれているものの、気性の激しいお客様への対応や社内外の調整に苦慮することが日常的にある。電話口で熾烈な交渉が行われ、時には口論のようにさえなる。
先輩たちはよく、「この仕事してると性格悪くなるよ」と言う。
とろくていつもへらへらしてきた私にやっていけるのか。不安になる時はいつも、たった1年間の憧れをしずかに呼び起こす。
指標。
迷っても見失っても、私は彼女を思い出せば、どこに行きたいのかをまたつよく心に刻むことができる。どこにあるのかもわからないはずの背中を、いまも追いかける。
きっとここで、ひろみさんのような美しい闘い方ができるようになったとき、私は一番なりたかった私になれるのだと思う。
やさしく、強く、しなやかに生きて、いつまでも大切な人を守っていけるはずだ。
あのひとは未来から来た女性。
未来をゆく私のなかに、ふしぎとずっといてくれる。