繰り返し愛でる
お出かけの時間が、ぽっかり空いた。
ただ普段の生活の中で
自然に組み込まれていたような。
外で自由にしていた分の時間が、突然に。
そのころちょうど
家にいることを楽しむために
外でしか見ることができなかった
オペラやバレエ、舞台のコンテンツが
いろいろな形で家の画面にたくさん届くようになって。
外と離れていなくてはならない
そのことで時にみだれてしまいそうな心に
注ぐための美しいものが絶えなくなり
そのうちみだれるよりもみたされる時に変わった。
お出かけの支度も、移動も、食事もお茶もなし。
お出かけの服選びに迷う時間、
移動しながら期待に胸を弾ませる時間
見終わって一息入れる美味しい時間、
そういう楽しい時間はお預けになってしまったけれど
かわりにそれをすべて、作品をみる時間に充てられる。
三倍見られるならば、三本見ることもできるけれど。
突然のこのぽっかりをそんなふうに使おうと思えなかった。
何故かただ自然に「リピート」を選んでいた。
出会えた作品たちに、二度目、三度目の時間をとりたいと。
見るための時間を作ってだと、ふりわけていくようになる。
でも時間があるから見られるとしたら、こうしていたかったんだ。
ふと、ピアノの練習時間を思い出す。
ピアノは、同じフレーズを何度も練習する。
何度も弾きこむうちに、新しい感覚が来ることがある。
同じフレーズなのに、知っているのに、発見をすること。
そうだった。
その感覚、昔は今よりもっともっと好きだった。
家の中をぐるりと見まわす。
以前から手にしていたものを、もう一度眺める。
映像だけでなく、音楽も、本も、画集も……
そういえば家の中に連れてきていた外の世界がたくさんある。
一時期の間に何度も戯れた子もいれば、
数年に一度開いて楽しむ子もいたりするけれど、
しばらくご無沙汰をしている子たちもそれなりにいて。
外にいきたさが少しずつおさまっていく。
私、まだまだ愛でたいものがある。
ここに。
「もう外に出てよいよ」
そう言われたあとも、たとえば予定を入れない日曜を。
うちの子たちと過ごす時を。
これからもう少し増やしていくのかもしれないなあって。
窓を開いて、扉をあけて、そんなことを今は思っている。