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なぜ教員になったのか
端的にいうと教育実習で授業するの楽しいなと思ったからです。もともと友達に勉強を教えるのは好きな方でした。しかし、今思うと世間知らずだったなと思います。授業は教員という仕事のほんの一部分でしかないということを完全に見落としていました。今回はこんな私が教員になるまでの話、なってからの話、これからの話を書いてみようと思います。
薬剤師になりたかった中学・高校時代
当時、世間では就職難がニュース等で取り上げられていました。私は手に職をつけたいと思い、薬剤師を目指していました。私立大学の薬学部は授業料が高かったので、国公立大学に絞りました。模試では合格圏内をうろうろしていましたが、センター本番で大コケ。悪夢でした。浪人は親から許してもらえなかったので、当時の担任の先生のすすめで理学部化学科に進学しました。
研究者と迷って決めた教職への道
第一希望の大学へ進学できなかった私は入学当初やる気を失っていました。しかし、高校の化学では丸暗記していた化学反応を大学ではなぜ反応が進むのか理論的に学ぶことができ、だんだんと面白くなってきました。この頃から研究職に興味をもちはじめました。教職課程の単位も一応取っていましたが、自分が本当に教員になるなんて思いもしていませんでした。ここで教育実習に参加。M2の春、教採と就活を両立できるほど自分は器用ではないなと思い、就活はせず教採に絞りました。運良く採用試験に合格できました。
「選択を誤った」→絶望へ
初任校に配属されて1日目。細かいできごと等は覚えていないのですが、初日からすごく慌ただしかった印象です。思っていたのとなんか違うなという思いはあったのですが、新学期が始まるとそんなことを考えるような余裕すらありませんでした。朝7時半に出勤して、部活が終わるのが19時過ぎ。そのあと仕事をして21時頃帰宅。ときには24時を超えることも。休日は8時半から13時まで部活、少し仕事をして15時頃帰宅。帰ったらぐったり。こんな日々が続きました。20代にして毎日栄養ドリンクに頼る日々。休みは月に1度あるかないか。今思い出しても二度とあの生活はしたくないです。転職もはじめこそよぎりましたが、そんなことを考えられる気力すら失っていました。部活を好きな人には苦でないのかもですが、私にとっては体力的にも気力的にも一番の重荷でした。決して部活の強豪校ではありません、いわゆる自称進学校と呼ばれるような学校でその有様でした。
転機となった定時制高校への転勤
2校目は定時制高校でした。さまざまな問題を抱えた生徒もたくさん通っています。それでも労働環境は圧倒的によくなりました。残業(もちろん無賃)はゼロではありませんが、毎日7時間の睡眠時間を確保できることがこれほどまでにありがたいものなのかと実感しました。嫌がる人も少なくないのですが、夜型人間の私にはお昼から出勤してよる遅くまでという勤務時間も苦痛ではありませんでした。同じ高校教員でも学校が変わると全然変わるということを知りました。転勤して少しだけ時間に余裕ができて、最初にしたことは転職サイトへの登録です。しかし、気力的にも体力的にもに少し余裕がもててくると、再び、授業って楽しいなと思えるようになってきました。大学受験に向けた教科指導ができるような高校ではありませんが、小中学校のまなびなおしのような内容であっても生徒の「わかった!!」の瞬間に立ち会えるのは楽しいです。
これからどうするか
このnoteでは大好きな教科指導と大嫌いな部活動のことばかり書きましたが、教員の仕事はそれだけではありません。担任業務や行事運営、分掌の仕事など一つ一つ挙げていくときりがありませんし、むしろこちらの方が教員の仕事としては重要かもしれません。それでも私は教科指導を大切にするという姿勢は崩さずにやっていきたいと思っています。転職のことも少し触れましたが、30代で未経験の業種に転職って甘くないだろうなというのもあるし、私はあくまで際限ない長時間労働が嫌なのであって、教員という仕事自体には魅力もあると思っています。今やブラックと名高い教員の仕事ですが、環境さえ整えばという思いです。ただ待つだけでなく、自分の力でどうにかできることは工夫していきたい。