シンプルにAIイラストへの気持ちを書いてみる

巷でAIイラストが物議を醸し始めてからもう結構経つ気がします。
未だにその是非は定まってなく、腫れ物のような存在にもなっています。

まあ理由はここで書くまでもなく、最も重要視されるのが道義的・倫理的な面かなと思います。これはAIが問題ではなく今あるAIの手法が問題なのであまりAIという単語と結びつけたくない気持ちもありますが…

次が人間の仕事が奪われるという点でしょうか。最初技術があまり理解されてなかった時はこちらが目立ってた気がします。

んで、個人的に良し悪しのジャッジをしてみようというテーマで色々考えてみたりもするのですが、どうしてもその辺とは関係ない経路で結論が出てしまいます。

魅力が足りないので人の絵が良い

これに尽きます。いや「人の手で作られたという事実が〜」みたいな補助的なストーリーを求めてる訳ではなく、単純にあまり魅力を感じない絵なんですよね。

良く「上手いけど良いと思わない」とか「下手だけど好き」とか言いますが、まさにそのパターン。

「上手いけど良いと思わない」がこれまでなかった

私過去にイラストとか見て、あまり上手くないよなと(大変失礼ながら)感じた絵でも大好きな絵は沢山ありました。
しかし、上手い絵ももれなく好きでした。上手いだけで好きな成分が必ず含まれている、そんな感じです。

…だったので、AI絵は衝撃です。最初気付かなかったけど今は分かる。
「上手いけど魅力的じゃない」

多分あらゆる面での「意図」が無いから

「意図」。絵にはさらっと見流す部分にも作者の意図があります。
例えば「目立たない方の手の指がゆるく握られている」という場合、それが当たり前の場面でも「当たり前に緩く握らせよう」という「選択」をして描かれています。
「楽しいシーンだから当たり前に笑顔にしよう」「風が吹いてるから髪を当たり前になびかせよう」
強い理由がなくても全て何かしらの判断をして描いている。そしてそんな中に作者の癖やセンス、こだわりが隠れていたりして、そこに見る人は魅力を感じると思います。

これが多くの絵を読み取って出力されたものでは全てが薄まってしまうのではないかと思います。
そこにある線の「理由」が無い。

1人のイラストだけを学習すれば解決できると思うかもしれませんが、人間には時間軸があるのでやはり薄れます。
今日はお腹が空いてる中描いたかもしれない、先週の絵の手はちょっと嬉しいことがあった後に描いたかもしれない、それなら究極に魅力を薄めない為にはたった1枚の絵を参考に丸ごとコピー…人が描いた絵そのものになるんですよね。

ということであまり細部まで見る必要が無いと言いますか、見る気がしないというか、そんな絵がAI絵に感じます。

普通に飽きてきた

上で書いたのはあくまでAIかどうかはっきりしている上での判断になります。
次は素で感じる点なんですが、なんというか見飽きてきた感があります。

よく考えたら最初から褒め方が「すごいなー」だったので、まあ飽きます。

人の絵は変化するんですよね。好きな方の絵も変わっていくから何年も見られる気がします。
いやAIも学習で変わるんでしょうけど、人間のは「本人の魅力という軸」そのままで変わるから良かったり。

工業製品が最初は目茶苦茶キレイな形、極度に安定した品質に感動するものの、人の手作りの歪さ不安定さの素晴らしさを改めて実感するような、そんな気持ちです。
※工業製品もプランナーがいてデザイナーがいてオペレーターがいて…と人の命が宿ってるので大好きです。だから手作り至上主義ではなく等しく魅力を感じるのだと思ってます。

まとめ

正直自分は倫理観やモラル観、また法的な問題、というのは時間が結論を出すと思ってあまり注目してませんが、単純に魅力を感じて好きだと思ったものを選んでいけば自分なりの正解が分かると思ってます。
感覚的なので自分の深層心理の本当のところは分かりませんが、思考した上では人の圧勝と思ってます。

でもそういう魅力が不要な場面では間違いなく活躍出来ると思っています。
例えばソシャゲ的な手法で複数のイラストレーターさんが参加するキャラが大量にいる作品。その作品内のイラストのみで学習して、NPC的なキャラが1人も被る事なく数百人数千人数万人が暮らす世界みたいな。こういう神が生むようなものは人の手から離れる方が面白かったりもします。

今はまだ手法や存在の是非を争う人々と技術進歩への貢献が全ての技術者がいる状態という、まるで「クローン人間できちゃうよ」みたいなタイミングなんだろうなあと感じています。



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