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小さな感謝の芽を育てていく
農業学校生だった時のこと
子供たちに、野菜の育て方を伝える授業の一環で
種蒔きを一緒に教える授業があった。
どうやったら楽しんでも貰えるか、
を精一杯考えた。
料理感覚でできたら楽しいんじゃないかと、
プラスチックのお皿やレンゲを用意したり
カラフルなポットへ土を入れる事を考えたり
形の面白い種を用意してみたり。
収穫体験とは違う、一見地味な種蒔きという作業を
どうやったら楽しんでも貰えるかをたくさん考えた。
同級生と考えている中で一つ
ある疑問が浮かんだ。
『間引く、という概念をどう伝えたらいいのだろう?』
*
「間引く」とは、種蒔き後に芽吹いた芽の中から、よりいい芽をだけを残して後の芽を抜いてしまう作業のこと。
どうしてこの作業が必要かというと、種も完璧ではないからです。
どうしても芽吹かない種が存在する。だから、あらかじめ多めに種を蒔いて、ある程度育ってきたらよりいい芽の為に、他の芽を抜き取らないといけない。
栽培においては当たり前だけど、言葉にすると中々に残酷なこの作業を、子供たちへ何て伝えたらいいのだろう。
色々、案を出したけど、うまい伝え方は見つからなくて、とぼとぼした足取りで先生へ相談してみたところ、「ありのままを伝えたら、ええよ」と。
拍子抜けするような答えが返ってきた。
・・・
間引き授業の当日、おそるおそる子供たちへ作業の内容を伝えた。
*
自分達の緊張とは裏腹に、あっさり子供たちは理解してくれた。
「ごめんね」
そう言って、自分達が蒔いた種の芽を丁寧に抜いてくれた。
これから育つ大切な芽を守る為に傷つけないようにゆっくりと。
そこには、弱い芽を抜いてやろうという気持ちもなければ、強い目だけが残ればいいという考えがある訳でもない。
純粋な、「ごめんね」と「ありがとう」、これから育つ芽に対する「大切にしたい」があるだけだった。
*
そうか、ごめんねでいいのか。
間引く、という行為が引っかかっているのは
むしろ自分達だったのではと反省。
学生だったから、社会経験はないものの
競争社会は味わっていく中で
テストの順位だったり
学歴だったり
校内にあるカーストだったり
数年後に控える就活だったり
どこか、置いていかれる、弾かれるというところに
引っかかりがあったのかもしれない。
授業中に、少しだけ涙が込み上げてきたのはここだけの話。
・・・
結果的には、自分達がいらない心配をして
空回りをしていただけだったのかもしれない。
でも、心の中に小さな気づきの芽生えを感じた。
間引いたつもりで
心には小さな感謝の芽を植えてくれたんだと思う。
芽が生えたこと
これから育てていくこと
そこに目を向ければいいのだと、思う。
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