炬燵が味方と思えるように。
いよいよ炬燵が欲しい季節が迫ってきている。
自宅に炬燵はないのですが、冬になると欲しいなぁなんて思ってしまう。
台の上にみかんやらお菓子やら、お茶など好きなものを沢山乗っけて、「もうここからは動かん!」並に籠城を決めこむのは何にも代え難い楽しみ。
冷え切った足先を炬燵でじわ〜と温めて、おまけに両腕も中へ入れて、台の上に顎を乗っけながら温まる瞬間はたぶんこの世で許された唯一の贅沢と言っても過言ではない。
人は温かい場所にはめっぽう弱いんだろうなぁ
なんて思う。
だけどそれ故に、買うのを少し躊躇ってしまう。
一度、炬燵の存在を知ってしまうと、外の世界が酷く寒い場所だと思えてきてしまって、抜け出せなくなってしまうから。
その温かさを知ってしまったら、寒い世界へ行く理由をきっと作れなくなってしまうから。
手を擦りながら、防寒着を着込んで、いま一度現実へ。
温かい場所なんか、いらいない
そうやって霜焼けになった手を温かいと錯覚しては、寒さを超えてきた頃の自分がいなくなってしまうように思えて、こわくて触れることができない。
温かいものは、いつか冷えてしまうから
こんな事なら、知らなければよかった
そう思ってしまわないように。
*
なんて擦り切れそうになりながら過ごした10、20代が少し懐かしい。
温かい場所があるから、ちゃんと寒い場所へも行けること。
寒い場所へ行っても、温かい場所がある事を知っていること。
それがとても足を進めてくれること。
何より極寒を過ごした後の、炬燵でのぬくぬく怠惰な時間は最高のご褒美である事を、きっと当時の自分は知らない。
*
おまけ
冬は切ない曲がとても刺さりますよね。不思議と。
遅ればせながら最近知ったアーティスト。
3ピースバンドの『マルシィ』
歌声と本当に切ない歌詞にじわり。
よかったら。
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