いちじくケーキと共に、陽だまりの「空白」を食む。
夏が終わろうとしていますね。
秋が顔を出しそうなのですが、気温的には夏がまだ粘っているようなそんな日々。
季節の中で秋が一番好きなのですが、ここ数年秋らしい秋を感じられていない気がします。お気に入りのカーディガンを羽織るタイミングがどうも掴めきれない。
それでも、着実に地球は公転しているわけで、太陽は帰宅時間が早くなっていますし、それを花や植物はしっかりと感じ取って、自分達の旬を忘れない。本当に偉いなぁ。
気温で感じれられないなら、味覚で感じてみるのは。
よし、秋を感じにいこう。
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西東京まで足を運びお目当てのカフェまで向かってみる。
お店のロゴがくるみ割り人形なんですよね。外見だけで、思わず入ってみたくなるワクワク感があります。
写真だと分かりづらいですが、胡桃の木が植えてあります。そんなちょっとした遊び心が嬉しくさせます。
こだわりの胡桃が置いてあって、注文してからの待ち時間、眺めたり、くるみ割り機で割って食べたり、とにかく楽しい。
炬燵の上に置いてある蜜柑みたいに、家のテーブルにも胡桃を置くことを考えてもいいかもしれないな、なんて密かに考えてみたり。
そんな風に胡桃と戯れていたら、お待ちかねのケーキと珈琲が到着。
サクサクのケーキ生地にイチジクとクリームが挟まってて、食感だけでとても美味しい。イチジクがフレッシュな味わいで多幸感が一気に花開きます。お皿の下に散りばめられたナッツがまるで落ち葉のようで、このひと皿で秋を満喫させてくれます。
あぁ、幸せはここにあったんだ。
フォークで、少しずつ、少しずつ、消化していく幸せを味わっていく。
大きいテーブルに相席だったのですが、不思議と圧迫感を感じないのは、程よく空席もあり、余白があったからだと思います。
目の前に空いた空席を眺めながら、ぼんやりと物思いに耽る。
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会社の仲良しだった人が、退職されることになった。
その人なりの人生、生き方だから、止めるなんて事、する意味がなくて、応援していなければいけないわけだけど、寂しさが心を覆う。
いなかった、といなくなったには大きな違いがあるから。
例えば、いつも陰ながら支えてくれていた総務の方が有給でいなかった時、来客対応に誰も反応できなかったり、書類が溜まっていたり、そんな時、今まで支えられていたんだなって思い知らされる。
それはいなかったんじゃなくて、空白だと思うから。
その人が確かに居た足跡で、痕跡なんだと思うからです。
そんな温かい、陽だまりのような空白。
その空白の横に腰掛けながら、
そんな風に思いながら、その人が残してくれた温かさを、ささやかながら、手のひらで感じてみる。自分の手で冷やしてしまわないように、そっと大切に触れてみる。
なんて無理な願いことをしてみる。
いつかこの空白を誰かが埋めてしまって、きっといつか空白だった事も忘れられてしまうんだろうか。
そんな事は、きっとない。
やっぱり変わりなんていなくて、覚えている限りそこに空白はあり続けるんだと思います。
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秋だって、たぶんそう。
秋の空白を今大切に思っている途中。
近年では感じられなくなってしまっても、間違いなくそこに居いたから、空白として残っている。
愛しい空白として、そこにいる。
自分もそんな空白に慣れているだろうか。
ギィ、とドアが開く音が聞こえる。
階段を叩く足音がする。
目の前の空席に新しいお客さんが腰をかける。
時計を見て長いこと、滞在していた事に気づく。
もう出なければ。
席を立ち、忘れ物がないか、さっきまで自分が居た席を振り返る。
伝票代わりの子犬を忘れていた。
手のひらに乗せて一緒に会計まで。
さっきまで座っていた席には、空っぽのお皿とマグカップしか残されていない。
扉を開けると、まだ秋とは言えないムワッとした夏を感じるけど、少なくとも、自分の中には秋の存在をきっちりと感じた。
また来よう。
店名:クルミドコーヒー (KURUMED COFFEE)
最寄駅:西国分寺駅