自分と向き合うということ

好きな色は?

好きな食べ物は?

好きな芸能人は?

好きなキャラクターは?

・・・将来の夢は?


昔からすぐに答えられなかった簡単な質問たち。
そんな簡単な質問すら、聞かれるのが嫌いだった。


オレンジが好きだっていう女の子は
ぶりっ子っぽい感じもなくなんか元気な感じするから、オレンジ。

好きな食べ物?なんて答えたら正解?
嫌いなものの方が少ないし、いちばんなんて考えたことなかった。

モー娘。誰推し?(なっち人気だな・・・)じゃあ私もなっち。
(世代感じるね・・・)

キャラクター・・・
私という人間にはディズニーキャラクターはなんだかしっくりこない。何よりよく知らない。
かわいいあの子はムーミンやスヌーピーが好きだって。
その雰囲気がなんだかいいな。私も、スヌーピー好きって言おう!
(スヌーピーの話とかキャラとか、たいして知らないのにね。)

・・・将来の夢、?みんな保母さんって言ってるから、私も保母さん。(今は保育士さんと言いますね。)


そんな思考回路で生きてきた。
何か答えなきゃで精一杯だった。

なんて答えたら正解なのか
なんて答えたら変な目で見られないのか
そんなことばかり考えていた気がする。

私の好きで私が形作られるというよりかは
"設定の私"に形成していったというか

誰のせいでもなく、私が逃げ続けた、そしてラクをし続けた結果なのだけど。

そう、私は自分と向き合うことが苦手。

そんな自分を分析する能力だけが育ってしまったかのような。


なんだか重たいスタートだけど
今更だとしても、私の好きを大切にしてくれる人、自分と向き合うことを勧めてくれる人がそばにいてくれてよかったと思った。
だから、今、これを書いてる。


何かを決めなきゃいけない時、
私は「なんのためか、そして結果どうなるか」
みたいな、どうしても理屈から考えてしまう。

その反面、旦那は「自分のテンションが上がるか」
みたいな、自分の気持ち最優先で物事の決断をしている。

なので私が考えまくって悩んで相談すると
「自分がいいと思うものにすればいい」という一言でよく済まされる。

最初はそれにモヤモヤとしていたけど
最近はとてもありがたいことだなと思う。


いま思えば大学進学までの全ての決断を人に委ねてきた。変な気を使っては自分の意思ではない道を自分の意思かのように振舞った。
転職でさえ、他人の意見を当てにした。

私は、答えをもらい過ぎていたのだなと思う。

なんで?と聞いたら教えてくれる人がいた。
それ以上、自分で調べるということをしてこなかった。
なんで?に「そういうものだ」と言われたら
それで納得してきた。
どうしたらいいか聞いたら、解決法を答えてくれる人が近くにいた。
それが正解だと思った。
何になったらいいか分からないと言えば
これが向いていると勧めてレールを敷いてくれた人がいた。
この業種どうかなーと言ったら
その業種なら安定してるんじゃないと言ってくれた人がいた。

恵まれていた。恵まれすぎて甘えていた。
だからよく、学生時代、不都合なことは何でもかんでも親のせいにしていた。
そうしたら丸くも収まった。

自分の「好き」や「こうしたい」と向き合うことなんてなかった。
「歌が好きだ」って、どうしても言えなかった。怖かった。恥ずかしかった。
かわいいものをかわいいと口に出すこともできなかった。女の子っぽいものに興味を持つことが恥ずかしかった。
「分からない」が逃げ道を作っていた。
「分からない」と言えば力を貸してくれる人に囲まれていた。
「分からない人間」を自分で作っていたからこそ
「どうしたい?」と問われることすら、思いを伝える機会すらなかった。
全て自分の蒔いた種。

その、「どうしたい?」を問うてくれる人がいま一番近くにいる。
「好きにしたらいい」と言ってくれる人が一番近くにいる。

社会人になって、自分で選択することの大変さも大切さも知った。
他人に決めてもらうことは後悔しか生まないことも知った。
自分と向き合いたいと思っても
何が正解かと考えてしまう自分がいた
書き出した言葉たちが、人の目に触れることを恐れる自分がいた。
それでもどこかに吐き出したいと思う自分もいた。
分かってくれる誰かを求めていた。


簡単なことだった。
考えや物事の捉え方に正解なんてないということ
何かを選ぶとき、自分がいいと思うもの、テンションの上がるものを選べばいいということ。

こんな簡単なこと、この歳になって教えてもらうことってそうそうないと思います。遅すぎるので。
それでも私からしたら「テンション上がるもの」っていう基準は、分かりやすくも新しい観点だった。

頭でわかっても実際の行動に移すのは難しくて
「テンションが上がるもの」でさえ精査して考えてしまうのだけど
分からないと向き合おう。
自分だけの答えを信じよう。
周りの人と違ってもいい。
分かってくれる誰かがいなくてもいい。
自分が自分を分かっていればいい。
きっと遠くにいる誰かとは同じこと考えているかもね。
そんなびびるほど変な人間じゃないんだから。
小さな箱の中に、さらに小さな箱を自分で作っていた私。

ちょっとずつでも向き合っていきたいし
自分の感情の機微を大切にしていきたい。

そんなことを考えていた、なんでもない、最近のお話でした。

長年頭の中を巡っていたコンプレックスも含めて、素直に言語化できた気がする。

読んでくれたみんな、ありがとう♡

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