【02】ラブレター
クレバーな女との楽しみを増やしたくて交換日記を開設した。
初手に書いてもらった記事は想像よりもずっとラブレターみたいで、なんだか気恥ずかしい。
私にとって最新で最深の関係(恥ずかしさを中和させようと考えたうまい言葉だよ)を築いている彼女とのやりとりを新しい方法で形に残していく試みにワクワクするし、ドキドキしている。
この感覚は君に手紙を送るときとちょっと似てる。
大丈夫?変なこと言ってない?
君って呼ぶの変?じゃあなんて呼んだらい?
うーん。
……ホントは全然通じ合えてないかもって思った?
言葉にするということは、どうやったって手持ちの型に嵌めていく作業でしかない、と、思ってる。
たゆたう抽象的ななにかを、どうにかこうにか手繰って掴んではぎゅむっと型に押し込んで成形していく、そんな泥臭い言語化を愛しく楽しく思う。
落雁みたいなね、イメージ。
我々はもう押しこめ遊び大好き人間。コスパも最強。
「(はめられる型が少ないほど気持ちの)再生性が格段に落ちてしまうんじゃない?」
「どれだけ複雑な感情だったとしても、"ずるい"って当てはめちゃったら以降その人の中では"ずるい"でしかないんだよ」
はぁなるほど。それってとっても怖いんじゃない?
16色に減色して書き出された荒い画像を見返すたび、私なりの無数の色があったはずの気持ちのグラデーションはどんどん色褪せていくんじゃないの。
そしてそれを見るたびに最初からその色しかなかったかのような思い込みを重ねていってしまうのかもしれない…そんなの怖いよね!?
だからか私の日記には起こった出来事がつらつらと書いてあるだけ。その時の気持ちにフォーカスすることってあんまりないなぁ。
コンと木枠から外された干し菓子を見て、花、花、花よりも、梅、菊、桜と言いたいし、玉梅、美濃菊、里桜と思っていたい。
スキルとこだわりで選ばれた言葉にその人を見出せる気がするから、裏返しで言葉を贈る行為ってすごく緊張する。
だから、ラブレターを意中の相手に認められる人は本当にすごいと思う。
人生で一度だけ、交際を願われるラブレターをもらったことがある。
封筒にしまわれた3枚の便箋にはノンブルが振られていて、なんとまぁ真面目な男かと思った。
彼は対面では言葉を濁してしまうからと手紙という書き文字で私に気持ちを伝えることを選んだけれど、私は手を替え品を替え色んな手段で君に色んなことを伝えてみたいし、君のことをもっともっと知りたいから、noteを書いてみる。
書き文字になると身体性が加わってしまうから、noteという削ぎ落とされたテキストに制限されることも楽しみ。
私からのラブレターがちょっとでも君にとって面白いものになっていったら嬉しいね。
先週、新しい包丁を買ってもらった。
前から気になってたもので、デザインも洗練されていてもちろん性能もいい。刃が薄くて切る感覚が心地いいので、薬味を刻む料理を沢山作っている。次はゴムのまな板が欲しくなっている。相性いいんだって。
やっぱり道具って行動に直結するから、早くタブレットに繋ぐキーボードを買おうと思う。
スマホで文を打つのって本当に苦手なんだ。
あとあと、一週間かけて綴ったラブレターの方が響きがいいよね?私の言い訳。