ねぇねぇ と聞いてみる
これも開かずのフォルダから出てきた原稿だから、書いたのは10年も前になる。違うところは旅に行きたいところはわかっていて、人生は相変わらずぽんやりしている。だからと言って焦ることは無くなった。何かをするときに勇気を出すとか、腹を括るということもわかっていて、その一方でいつも全力で進めばいいわけじゃないことも知っている。全力じゃない時は、「休みも必要ですよね」という人もいて、まぁ、休みは必要だとは思うけれど、自分にはいつもしっくりこなかった。久しぶりに怒涛ではない春を過ごして、木がぼぼっと芽吹いたり、花を咲かせたりするのをみていると、ああ、休むのではなく硬い枝の中でじっとしてるように見せて準備してる感じかしらね、とは思う。ただ、まぁ、そういうことってたいてい後付けの言葉で、本来誰かに説明する必要があるわけでもないし、本当に聞きたがっている人もそうそういるとは思えないので、たいていはどうでも良い第三者への返事みたいなもの。「どこ行くの?」」「ちょっとそこまで」という会話に毛が生えた程度のものだとも思っている。
旅に出たいのに、行き先が決まらない。いつも通り飛行機の値段も調べたし、ガイドブックとかも買った。でもぴんとこない。お金や時間が無いのはいつもだけど、「行きたいのに行きたいところがわからない」のは初めてだ。どうした?トシか?心が疲れてるのかな? 国内も石垣島から関東までの宿を探したけど、完全なスランプ。
その数日後、一年前にみた景色がぽぉっと浮かんできた。そのときはすぐに帰ったけれど、気持ちいいなぁと思ったところ。調べたら一番好きだったベンチの近くに宿がある。すぐ近くのシアターでは面白そうな公演がある。そこから宿を予約したのは出発2日前、出発前日には近くでやってる展覧会のことを思い出した。
読みたい本を3冊もって、旅先でやったこと。
絵本の展覧会と、ちっこい公演をみた。あとは水辺で本を読んでぼぉっとして、散歩して夕日見て、自転車のってお茶して、ご飯食べてお風呂入る。ちょっと面白い出会いが2つ付。どれもこれも普通のことだけれど、今の自分に必要なものが、道ばたに咲いているしろつめ草みたいにぽつぽつとあった。
これって人生と同じかなって思う。
情報も選択肢も山ほどあるけれど、あるのに「行きたいとこ、したいことがわからない」って感じることは、お金がないとかいうことよりうんとつらい。でも、そういうことって、自分に「ねぇねぇ」って聞いてみたら、ちゃんと答えを持ってたりする。ちっちゃいからとか、人に言いづらいからとか、お金にならないからとか、自己満足だとか、無謀って思われるから、とかいろいろあるけど、その通りにやってみると「すごい、これこれっ」って思うくらいツボだったりする。自分のことだから当たり前なはずだけれど、ねぇねぇって聞いてあげることを忘れている。
旅先は、一時間弱で行けちゃう山の向こう。でも、ちゃんと荷造りして、二泊もした。そうしたいと心が申しておりましたので。
他人への「ちょっとそこまで」くらいのことにエネルギーを注ぐより、自分に「ねぇねぇ」と聞いて、しょーもないような内容でもちっちゃな声でも聞いてみた方が、きっと楽しいし、おもろいことになる、と思っている。