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心に向きあう時間
ちょっと背伸びして見栄を張ったり、周りに流されてしまったり。「〜であるべき」「〜しなければならない」というような考えにとらわれたり。
日々の生活の中で、自分の心にどの位向き合っていますか?
私自身も、”頭”にばかり意識を向けていて、なかなか”心”に向き合えていない日々を最近過ごしていました。
充実はしているのだけど、どこか息苦しい…
その息苦しい原因は、心の思うままに過ごす時間を最近ほとんど取れていなかったからだと、今回旅行をしてわかりました。
旅行先は「タイ・プーケット」
行く前に決めていた旅行のテーマは ”感じる” です。
一緒に行った友達との会話、現地の人との交流、食べ物、飲み物、景色、海の感触、砂の感触、風、気温、匂い、そして、自分の体と心・・・
”感じる”対象は全て。”感じる”って意識することじゃないかもしれないけど、私は意識しないといけないほど、様々なものにとらわれていました。とらわれているのは自分でもわかっていて、、、でも、日々の生活の中では中々抜け出せない。
だからこそ、今回の旅行では”感じる”を意識することにしました。
”感じる”ことをしていると、だんだん気づいてくるものが2つありました。
1つは、自分の価値観。「何を好きと思い、何を嫌いと思うか。」好きとか嫌いとか、理由はもちろんあるだろうし、その理由を言葉で表現することも大切だと思うのですが、理由って後付けなんですよね。自分の心が反応する。この心の反応を感じることで、自分の価値観に正面から向きあうことができました。
普段は「上司が〇〇と言っているから、それが正しい。」とか、「友達が△△と言っているから、私もそれが好き。」という風に”頭”から入って自分のうわべの価値感を作っていて、「本当に自分はそう思うのか」という感性に働きかけることをおざなりにしていたみたいです。
もう1つは、「当たり前」の怖さ。日本の良いところでもあり悪いところでもあると思うのですが、日本ってハイコンテクスト文化で、「当たり前」がとても多いような気がします。ほとんど全員が同じような学校教育を受け、新卒一括採用で入社し、世論がメディアに左右されるため、根本的な考え方は多くの人が同じなのかもしれません。
その日本での「当たり前」も、外からの視点で見ると当たり前じゃないことってたくさん。大学生の時は、頻繁に異文化に触れてたせいか、もっと柔軟に考えられていた気がするのに、自分の考えがこの「当たり前」に固められてきていて、少し悲しくなると同時に怖さも感じました。
意識的に”感じる”ことで心に向きあう時間にもなった今回の旅行。この約4日間は「〜しなきゃいけない」が全くなく、全部自分の心が思うまま、感じるがままに過ごしました。
時々こういう時間を持たないと、感性が鈍っていきそう・・・
明日からまたちょっと慌ただしい日々が再開しますが、時には肩の力を抜いて、日常から離れて心に向きあう時間を作っていきたいと思います。
【2018. 05. 02 ~ 2018. 05. 06 at Phuket, Thai】