東京から少し離れた小さな町。
海があって、山があって、コンビニはない。
朝が早くて、夜は早々に暗く静かになる。
ごくごくありふれた家庭で、
三姉弟の真ん中に生まれたのが私。
幼い頃から正義感が強く、また地元愛も強かった。
大人になったら保育士か教師か、はたまた医療従事者か。
人の役に立てて、かつ地元で働ける職種。
ぼんやりと、でも具体的な夢があった。
中学2年のある夏の日、突然、乳汁分泌が止まらなくなった。
ノーブラにTシャツ1枚で過ごしていると、
勝手に、胸の周りがびしょびしょになる。
すぐさま母に泣きつき、
初めて産婦人科を受診した。
この町には、病院は一つしかない。
しかも、産婦人科だ。
思春期真っ只中、かなりの勇気が要った。
幸い、そこは母の職場でもあったため、
人の気配が少ない夕暮れに、裏口からこっそり出入りさせてもらった。
少しぽっちゃりとした、アンパンマンのような男性医師と、
スラっと背が高く綺麗な助産師がいた。
母の同僚だからか、普段からそうなのか、
とてもフランクで優しい2人だった。(たぶん後者だろう)
初めての内診台は、心地よいものではなかった。
すぐそばに母がいてくれるのに、体は強張る。
カーテンの向こうから、2人もずっと声を掛け続けてくれた。
女性の、少し低くて柔らかな声が、
耳からやさしく胸に落ちてきた。
採血結果が出ないと確定診断はできないが、
症状から予測するに、高プロラクチン血症だろうという診断だった。
実際、そうだった。
大変な病気ではなくて、良かった。
恥ずかしい思いをして、受診した甲斐があった。
そしてもうひとつ。
助産師という仕事と出会った。
30代になった今でも思う。
これ以上に大きな収穫はなかったと。
助産師は、赤ちゃんを取り上げるだけが仕事じゃない。
私のように、女性特有の病気や悩みを抱える人を救う、
”女性の一生を支えるプロフェッショナル”だ。
そもそも、産婦人科の敷居が高くなってしまうのは、
正しい性教育が行き届かない環境にあるからかもしれない。
だとしたら、私が助産師というプロフェッショナルになって、
この小さな町に、正しい性教育を届けたい。
くっきりと、「助産師になる」夢ができた。
母に、同僚の助産師さんや看護師さんを紹介してもらい、
進学について多くの助言とエールをもらった。
幸い、自分が行きたい学校に進学でき、
働きたい場所で経験を積むことができた。
順風満帆といっていいだろう。
しかし、今まさに、これまでにない大きな壁に直面している。
それが、「双極性障害」だ。
気分が高揚し万能感に溢れる躁状態と、
嫌な気分が永遠に続く気がしてしまう鬱状態を、
交互に繰り返す病気。
(軽躁状態と呼ばれる状態や、寛解期などもあるが、それはおいおい…。)
私の場合は、元々生理周期に連動して気分の浮き沈みが大きかったが、
ここ2年ほどは特に、上がったり下がったりの波が激しかった。
自身でも「ひょっとして双極性障害かも?」と疑っていたが、
実際に診断されたのは、セカンドオピニオンを受けた、2024年3月だった。
勤務先では、半年間の休職期間が設けられていた。
期間内の復職を目指して治療していたが、
残念ながら、退職することになった。
そして今。
すこーしだけ調子の良い日が増えてきた。
時間は、余るほどある。
多くは自分の、心の整理のため。
でももしかしたら、この文章が誰かの目に留まるかもしれない。
読んでくれた誰かの心に、何か一節だけでも残ったら嬉しい。
そんな思いで、のんびりと、綴っていこうと思う。
2024年10月11日
~ぽこの経歴~
✍東京都立某看護専門学校 入学—卒業
㊩東京都内某公立病院 産婦人科病棟勤務
㊩同病院 消化器・呼吸器外科病棟勤務
✍首都圏立某看護専門学校 助産学科(1年制) 入学—卒業
㊩首都圏市立某公立病院 産婦人科病棟勤務
㊩首都圏某私立病院(単科) 産婦人科病棟勤務
2024年8月 双極性障害にて退職(自宅療養中)