異なるジャンルに推しを持つということ
異なるジャンルに推しがいると、「どっちの方が好きなの?」と聞いてくる人がいる。一番されたくない質問だ。
私はかれこれ10年以上異なるジャンルに推しを持つ生活をしているが、その熱量は日々変化している。「昨日はAの熱量が高くて今日はBの熱量が高い」みたいな。推しがいない人にはなかなか理解してもらえない感覚なんだろうか。
私の推しの話をする。
推し(A)はアイドルグループ、小学校に上がる前からずっと応援している。個人よりグループが好きなのでグループとして(A)と表すことにする。
推し(B)はアスリート、(A)と同じぐらい好きになる人はこの先現れないだろう、と思っていた頃にどっぷり沼落ちした。
推し(B)を応援し始めて数年が経った頃、(B)は現役を引退した。
(B)が戦う姿が好きだった私は、心にぼっかり穴が空いてしまった。とはいえ、引退後も活動を見られることが比較的多い競技であるため、活動する姿はどこかで見られるだろうとも思っていた。
が、(B)は翌年仕事をセーブして海外へ行った。競技から離れるためだった。動く姿が見られない日々に「このまま自分の気持ちも冷めてしまうのではないか」という不安と寂しさが募った。
その頃推し(A)は、アニバーサリーイヤーに向けてグループ活動が増え、レギュラー番組でもファンにとってはたまらない企画を始めていた。(B)への寂しさが少し埋められた。
その翌年、アニバーサリーイヤーを迎えた(A)に解散報道が出た。
解散の噂は今までも恒例行事のように出ていたが、今回は訳が違った。
テレビ新聞週刊誌、あらゆるメディアで解散に関する真実がどうかもわからない情報が連日報道され、それが事実のように一般に広がっていく様子を目の当たりにした。何がなんだかわからなかった。ただただ自分の心が無になっていった。
その頃、(B)が帰国し、本格的に日本での活動を再開した。競技とは異なる活動も多く、一気に露出が増えた。今の自分の心情をわかってるんじゃないか、と思ってしまうぐらいに色んな姿を見ることができた。現場に行き、(B)の活動を見ることが当時の自分にとって心の拠り所だった。
その後(A)の解散が確定した。絶望した。
何のために日々を過ごしているのかわからなくなった。現場行く機会増やすために上京したのに(A)見られないじゃん。意味ないじゃん。
と思ったが、(B)は変わらず忙しく活動を続けてくれていたので充分意味はあった。完全に埋められる訳ではないが、(B)のおかげで穴だらけの心が少し埋められている気がした。現実を忘れられた。
異なるジャンルに推しを持つことのありがたさ、大切さをこの年強く強く思った。
推しが複数いると喜びや悲しみもその分増えるので、メンタルの上下も多い。奇しくも、推しがいることによって味わった悲しみを別の推しに癒してもらう形となった。
人によっては「兼オタ」であると真のオタクじゃない、というような思考を持つ人もいるかもしれない。でも、こうして「兼オタ」をしていることで救われる心もあるということを知ってもらえると嬉しい。
余談であるが、私の推し達はアイドルとアスリートなので、「アスリートをアイドル視している」という声を見かけるとつい気になってしまう。
私からすると、アイドルよりよっぽどアイドルらしい振る舞いをするアスリートもいれば、アスリートよりアイドルらしからぬ振る舞いをするアイドルもいると感じる。それぞれにそれぞれの魅力があってそこに惹かれている、で良いのではと思う。
異なるジャンルの推しを持つことによって、様々な世界を見ることができ、自分の人生が大きく広がったことを思えば、「どっちの方が好き」なんて無意味なことなのである。