しんやの餃子世界紀行 Vol.58
「学ぶこと」
人生32年生きてきてまさか自分が餃子を、飲食を生業にすることになると思わなかった。
そもそもニンニクアレルギー。
餃子を好き好んで食べるような人生ではなかった。
ただ守屋と一緒にやったらおもろいやろなって気持ちだけで一緒にやっただけ。
こんな性格だからかわからないけど、せっかく餃子を仕事にするなら餃子をまずは好きにならないといけないなって思った。
守屋はちゃんと餃子を学んでいる。
しんやに餃子は無理!!って言っても
「いや俺ができたけぇ、やってみてや」
って守屋は言う。
ほな、俺も餃子できるかー。
そんなノリで餃子を知る毎日は意外に楽しい毎日だった。
環境において自分に興味がないことが仕事になることは多々あることだ。
むしろ99%そうだと思う。
残りの1%は天才か頑固者。
でも芯のある人しか残れない領域。
自分にとって興味がない領域を愛するという行為は偏に前向きに自分と向き合う行為だ。
向き合うことは足を動かし、頭を使い。
自分の時間を犠牲にしてでも向き合う行為は苦痛の連続である。
それでも学ぶことはとても重要なことだと思う。
餃子を学ぶことは、思考を活性化させる。
自分がやりたいこととやっていることが違うとしても、違うことからやりたいことのヒントにつながることってたくさんある。
だから僕は学ぶのかなって思う。
興味がないことに興味を持つことができれば、興味があることなんかどこまでだって追求できる。
だからこそ、どんなことにも興味を持つ、学ぶことが大事なんだなって日々の生活で思う。
岡山での生活は、今までの暮らしの中になかった興味の連続だ。
カンタのハンバーガーも、アンディのソックスも。
ゆうとくんのインラインスケートもそう。
新しいカルチャーを一生懸命体現してくれる誰かの言葉がすごく前向きで勉強になる。
好奇心を刺激する毎日をどう過ごすかを考えた時、無関心と向き合うことは物凄く手っ取り早い。
だって、無関心なことしかないのだから、平凡な生活の中には。
無関心を無関心のまま終わらせることは簡単だけど、無関心から何も学ばないことは勿体ないことなんだよな。
向上心は無関心の中にある。
学びは無関心の中にある。
それが僕の信条であり、見識と知識の深さに繋がっていると思う。
今ある環境をよくするために、もっと無関心と向き合ったほうが良い。
しんやの持論。
新成人になって毎日に悩む人も多いと思うけれど、そこにきっとヒントがある。
自分が前に進むために無関心と向き合うことは絶対自分の好きなことを実現する近道になる。
だから、自分を向上するために無関心とがっぷり組んで欲しいんよね。
しんやは一生勉強するよって。
そんな話。
たまにはさぁ。
おじさんみたくこう、ね。
語ってみたい夜もある。
酔っ払いの、そんな話。