しんやの餃子世界紀行 Vol.49
「深夜バスと取れるケツ、猫吐き憂い、はじめてのインスタライブ」
深夜バスとは地獄の道を進む香車である。
一度前に進むと決めれば自陣に戻ることは出来ず、前にしか活路なし。
188cm
股下100cm
恵まれた体格と、日本人から見れば長すぎる脚を持ち。
街を歩けば周囲を画すそのスタイルの良さは、この地獄の行きの無限バスに収めるに厳しい。
また持病の膝と腰がうねりに近い悲鳴をあげる。
地元北海道の人気ローカル番組内にて、深夜バスで日本を移動する理不尽な企画の中で
「ケツが取れる夢をみた」
という名言があるが、実際にケツが取れるような痛みで目が覚める。
しかもコロナ禍である。
マスクが息苦しい。
なによりマスクの紐が耳に食い込んで千切れるように痛い。
泣こうにも泣けず、ずっとサカナクションとMr.Childrenを交互に聴いて心が荒む気持ちを抑え込む。
ウチの猫が具合悪いのだ。
帰らなければならない。
しかし心が取れるような悲しみに10時間、私は耐えるのだ。
お前もお前だが、私も私なのだよ。
ただ前に進むだけ、戻ることもない日本を分断する止まることの許されないその道は、山を崩し、穴をぶちあけ開いた道だ。
こんな道があるから、遠くに車で行こうと人は思う。
トイレに貼られたネクスコの文字に殺意が湧いた。
殺意が湧いて、ここで下せと騒ごうと、
「はいどうぞ」
と言われればそれで終わり。
下界に降りる術はない。
言われるがまま、進むのだ。
一度エンジンをかけたら止まらないこの道を。
信号もない、人気もなく。
静まり返りだけの山と山を両脇に抱えながら。
僕は宝塚に左のケツを置いてきた。
足柄には右のケツを置いてきた。
岡山へ戻る道で僕は。
足柄で右のケツを、宝塚で左のケツを回収する。
すでに絶望が確約された往路をいかば、もう東京なんぞに用はない。
むしろもう、あんまり魅力がないよ。
東京。
僕は苦しむ猫を抱きしめて、共にこいつと壊れた体を癒したい。