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しんやの餃子世界紀行 Vol.51

「ねこのこと」

命を飼うということは、命を買うことと同義だ。

人のエゴで売られた動物、元は誰かの手元にいたもの、単純に逃げ出したもの。

様々な要因で人は生き物を生活の中に組み込んで暮らす。

しんやもまたその一人だ。
幼い頃から動物が好きだった。

初めて飼った生き物はカマキリで、彼は脱走名人のため網を破っては神棚の上でカマを振って獲物を狙っていた。

彼だと思っていたカマキリは秋に大きな卵を産んで、子供に食べられて死んでいった。

それ以来、色々な動物を迎える中で誕生と終わりを繰り返し、その度に上下する感情の中で動物が好きだという気持ちだけが不変だった。

現在、ウチには1匹のマンチカンがいる。

こいつがまた可愛いやつでよく遊び、よく食う猫である。

名をムジカと呼ぶ。

ラテン語で音楽を意味するMUSICAから拝借した。

(その日当てた馬券の馬がムジカという名前だったことにも由来するがそれは内緒)

彼女がウチに来てからというもの、生活は幸福で包まれ、ラテンのような明るくイタズラ好きの彼女の振る舞いが暗かったしんやの人生を明るく照らす。

太陽のような娘だ。

自分の猫を娘と呼ぶと、それをバカにする白井くんという後輩がいるが、ムジカはまさに娘と言っても差し支えなく、言葉が通じないだけの家族である。

そんなムジカが嘔吐を繰り返し、大好きだったエサも食べなくなって2週間。

岡山での毎日は楽しいのだが、ムジカが苦しむ2週間は憂鬱でしかなかった。

今回一時的に埼玉にある家に戻ったが、前に元気だったムジカはいない。
じっとしている時間が長くなった気がする。

低アレルゲン食を与え、食事療法に切り替わったが、口に合わないらしく全然食べてくれない。

毎朝粉薬を水に溶かして注射器で経口摂取するたびに口元をびちゃびちゃに濡らす。

吐くことは無くなったが、苦しそうな嗚咽を繰り返す。

獣医師は最初は食べないけど限界までお腹が空いたら食べるからその時を待つしかないと説明してくれる。

どうやら食物性アレルギーから嘔吐が止まらない病気らしく、猫はよくかかるのだと言う。

今までもたくさんの動物をお迎えしてきたが、都度心が苦しくなるのはもしかして与えちゃいけない食べ物を与えてしまったのか、それが苦しめる原因になってしまっているのではないか、と後悔の念が湧き出すこの瞬間である。

なにがいけなくて、今どこが苦しいのかを動物は教えてくれない。

最悪このまま病状がよくならなかったらどうしよう。

最悪の日に立ち会えなかったらどうしよう。

そんな気持ちを持ってバスに乗り、新宿を出て岡山に向かう。

そのバスの中、あまりに悲しくて寂しくて。

娘のためになれないダメな父親だと自分を責めたい気持ちでいっぱいになる。

良くなってくれるに違いない。
そう前向きに考え直してバスの中、ムジカの写真を見てしまう。

まだまだ一緒にいたいよムジカ。

まだ出会ったばかりじゃないか、頑張ってご飯食べてくれ、ムジカ。

浮き沈む感情を奮い立たせて向かうバスの揺れが気持ち悪い。

でも、動物を迎えるってそういうことの連続で、そのことも受け入れないといけない。

そうじゃない毎日が楽しいことを思い出して、言葉が通じない壁を乗り越えて元気になってくれないと。

悲しいことが重なる時こそ、楽しいことを思い出すことが大切なのだ。

ペットを飼うというエゴを全うしなければ。

僕にとってムジカは娘で、
他に替えが効かない存在なのだから。

パパ、お仕事頑張るね。
次おウチに帰るときは、また一緒に遊ぼう。

この距離を超えてくれ、ムジカ。

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